3歳児検診で、大荒れだった息子。疲労や、いつもと違う環境であぶりだされた、「集団の中で、うまくやれない」という、本来の息子の姿。
これは早めに、みっちりと療育をした方がいい、ということで、息子は母子通園療育を提案されました。
私は、

母子通園を誘われるほど、難しい状態なのか…。
と、信じられない気持ち半分、認めざるを得ない気持ち半分、という状態でした。しかし、とにかく現状のままでとどまっているわけにはいきません。私は息子をつれて、週3日の母子通園療育に通い始めました。
通い始めた療育園で、息子の「難しい部分、本来の部分」を、私は想像していたよりもずっと厳しく、目の当たりにすることになりました。息子の「困難」は、今までの月2回のグループ療育では、

うまいこと出てこなかっただけ、だったんだ…。
と、気づかされました。
息子にとっても、療育園に通うことは「自分のやりたくないことばかり」という環境で、始まった療育を嫌がる日々が続きました。
いろいろな活動で泣きわめき、全身で拒否する息子。
こんなに嫌がっているのに、効果は出るんだろうか…。
始めたばかりなのに、早くも先が見えない気持ちになって、もう、逃げ帰って好きなようにさせてやりたくなる時間でした。
息子はちゃんと、発達していけるのか。先もわからないまま、こんなに嫌がっているのに頑張らせないといけないのか。
葛藤を抱えての、母子通園療育のスタートになりました。
母子通園療育とは?
母子通園療育とは、発達に偏りがあったり、遅れがあったりする子どもに、親と先生が一緒に療育をほどこせるよう、親子で通園しながら受けられる療育です。母子と言っても、一緒に通園するのは、もちろん母親でなくても父親や祖父母や、保護者であれば構いません。
子どもにとっては、大人2人がかかわってくれて、より密度の濃い療育を受けられるものです。同時に、親にとっての「子どもの発達に関する学びの場」にもなります。
息子の3歳児健診の記録でもふれましたが、こちらの地域では、月2回のグループ療育に比べて、療育の日数も格段に多く、1回の療育の時間も長くなります。
母子通園療育は、より発達の遅れや偏りが大きいと疑われる場合に提案される療育なのです。実際、そこに通っている子どもは、重度身体障害があったり、重度の自閉症が疑われる状態だったりでした。
息子が療育施設を、通園のかたちで利用するにあたって「障害児の特別医療福祉受給者証」の申請をすることが必要でした。これは「障害児と認定される」ことではなく、手帳をとることとはまた別のことです。あくまでも手続き上必要な書類、というだけだということでした。
それでも、申請書の中の「障害児」という言葉は、なかなかに重苦しいものでした。
息子の母子通園療育の環境
私は、娘のグループ療育で療育園に通っていた経験がありましたが、毎日通園する療育クラスのエリアには、入ったことがありませんでした。
初めて入った母子通園のエリアは、大人がたくさんいる保育園、という雰囲気でした。
入園前の母子面接
入園前に、園長先生とクラスの先生による親子での面接がありました。
息子にとっては初めての場所だったので、息子は最初、警戒した表情でした。ですが、ミニカーやヒヨコのおもちゃを見つけると、表情を和らげ、独り言を言いながら、機嫌よく遊び始めました。
「お名前は?」「何歳ですか?」の質問には、息子はやはり、

……
見つめ返すだけで無反応でした。
そんな息子に、先生方は、

車を並べるのが上手だね。

車の色も、よくわかるんだね。
と、穏やかな様子でたくさんほめてくれました。息子はニコニコしていました。
母親である私に対する面接の内容は、
- 家庭で、子育ての困っていることは何か
- 1年後やさらにその先に、子どもに「こうなってほしい」という願いはあるか
- 子どもが好きなこと、嫌いなことはどんなことか
といった内容でした。私は、
- 家では、息子のペースに合わせているので、そんなに困ったことはない。
- 強いていえば、危険な遊び(電子レンジに入ろうとしたり)をするのをやめてもらいたい
- 1年後は、できれば保育園なり幼稚園なりの年少クラスに入ってほしいけれど、それもこれも息子の発達次第だから、とくに強い希望はない
- いずれ、小学校の特別支援学級などへの在籍も考えていくことになるだろう。けれど、どこに在籍するにしても、学校生活というものの中では、息子は大変な思いをするだろうということは大体予想はしている
- 息子の好きなことは、息子の好きな遊びをすること(車とか電車とかボールとか)
- 息子の嫌いなことは、集団行動、食事、トイレ、昼寝、着替え、ハミガキ、絵本の読み聞かせ、手を洗うなどなど…
という感じで答えました。答えながら、

やりたいこと以外は、全部大嫌い!
大嫌いなことは、できない!
という息子の現実を直視して、

ああ…
いよいよこれから、本当に苦労する療育になりそう…
と、私はますます、気持ちが下がっていく気がしました。
先生方にとっては、私の答えは満点回答だったらしく、

さすが、お姉ちゃんの療育のときに、お母さんはがんばってらしたんですね。
お母さんがいろいろ分かってらっしゃるので、こちらも安心して療育に取り組めます
とおっしゃっていただきました。私は、

ああ…
これからも、いろいろ分かっていて覚悟ができている親、という前提で、対応されるのか…
と、誇らしいような、がっくりするような、いろいろな思いが混ざり合って妙な気分でした。
そのあと、諸書類を渡され、
- 息子の成育歴
- 息子の現在の発達の調査票
- 家族関係の調査票
- 住居、親の職業などの養育環境の調査票
- 親の要望書
などを記入して提出するように言われました。
療育の頻度や、担当する先生の人数は?
この療育園では、通園する子どもの年齢によって、通う日数が決められていました。息子は、来年年少の未満児なので、週3日が基準でした。親の都合に合わせて、曜日はある程度調整してもらえるようになっていました。
担当する先生の人数は、子ども2~3人に対して先生1人、という感じでした。入園したばかりの段階では、子どもにより丁寧に対応するために、先生1人が子ども1人に常についていてくれる、という状態になっていました。
1日のスケジュールは?
母子通園での1日のスケジュールは、
- 遊び
- 朝のあいさつの会
- 体操、サーキットなど
- お茶休憩
- 散歩、外遊びなど
- 給食
- ハミガキ、着替え
- 昼寝
- 着替え、おやつ
- 帰りのあいさつの会
といったような流れが大体決まっていました。しかし、その日によってやることが少しずつ変わったりしました。子どもたちは、1日の最初に、スケジュールボードに貼られた絵カードなどで、その日の流れを確認することができました。
そして、このスケジュールの大半が、息子の嫌いなことばかりでした。(太字の項目)
母子通園療育~開始したころからしばらくの、息子の様子
母子通園療育は、2時間程度の慣らし療育からスタートしました。
給食は入園2週間後から、昼寝は2か月後からになりました。これは、子どもの様子によって個別に変わります。
スケジュールの大半を拒否
息子は、提示されたスケジュールの大半を、嫌がって拒否しました。
- お茶休憩→偏食で無理
- トイレ→知らないところでトイレは使えない、怖い
- 給食→偏食で無理
- ハミガキ→大嫌い(理由不明)
- 着替え→大嫌い(理由不明、感覚過敏?)
- 昼寝→寝つきが悪い、寝起きも悪い
- おやつ→偏食で無理
園生活のすべてが、息子の嫌いなこと、怖いこと、心を許せないことばかりです。当然のように、息子は、

わー!ヤダー!ギャー!
遊び以外、泣いたりわめいたりして参加できませんでした。
もちろん、療育園の先生方は、

まずは、息子くんが心を開いてくれることからです。
といって、無理強いなどは決してしませんでした。でも、息子はその時間が来るだけで、泣いたりわめいたりの大騒ぎでした。絵カードでスケジュールを確認しながら、何とか1日をこなす、という日々が続きました。
お誕生会に、参加できない
入園して2週間後くらいに、療育園の月に1度のお誕生会がありました。
警戒心丸出しの表情で、それでも私に抱かれてホールルーム(大きい部屋)に何とか入った息子でしたが、お楽しみとして先生方がやってくれた劇が怖くて、私の腕の中で、

えーんえーん
と泣きながらぶるぶる震えていました。
そしてそれからは、ホールルームに入るのを拒否するようになりました。
遊びは楽しめるけれど…
先生方の導入が、ていねいで良かったこともあり、庭遊びのプールは大好きになった息子。ちなみに、もともと水は嫌いではありませんが、海は好きだけど波に慣れるのに2日はかかる子どもです。
朝の会や帰りの会の歌やお遊戯、サーキットや室内遊びなどの「遊び」は、息子は楽しそうに、元気いっぱい参加していました。庭遊びは大好きで、私や先生の手を振り払って1番に駆け出していく状態でした。
これがあったので、拒否が多い療育園生活も、何とか続いている感じでした。
おともだちに、興味がない
遊びは大好きな息子でしたが、遊び相手は「ママと、担当の先生」に限られていました。息子は、先生と母、そして自分自身以外は、

すべて背景
といった風情で、お友達ともほとんどかかわろうとしない様子でした。
そして、息子だけでなく、クラスの大半の子どもがそういう感じでした。
クラス替えで、さらに強まる拒否感
タイミングが悪いことに、息子が入園して2か月ほどたった時、入園希望者の増加に合わせてクラス替えが行われました。
息子は偏食にもかかわらず、がっしりとして体格もよく(多分牛乳の効果)、姿勢・運動面で全く問題がなかったので、クラス変更の対象者になりました。
入園以来、息子は「スケジュールを拒否」することは多かったものの、最初の担当の先生にはすぐになつき、「先生やクラスの拒否」はまったくありませんでした。
なので、私も先生方も、クラス替えはそんなに大きな影響はないだろう、と考えていました。慣らしもいらない、大丈夫そうだと思って、私はためらいもなくポンとクラスを移すことにしました。
しかしこれが、うまくいきませんでした。
新しいクラスは、1歳年上の年少クラスの年齢の子が多いクラスでした。変わった先のクラスに、息子は最初、まったくなじめませんでした。
新しい担当の先生に寄り付かず、それまで楽しんでいたサーキットなどの遊びすら、癇癪。ものすごい拒否感でした。
思い返してみると、それまでも息子は、初めての場所では、どんなに楽しいところでも楽しめるようになるのに1~2時間かかる「場所見知り」を、よく起こしていました。おそらくクラス替えの拒否感も、「場所見知り」によるものだったのだと思います。
結局、新しい担当の先生に少し気を許すまで、1か月ほどかかりました。
グループ療育では、うまくいっていたのに…
グループ療育のときには、自己肯定感も高まった様子で、あんなにうまくいっていたのに…。私は挫折感で、家に帰ると落ち込んでいました。
それでも、療育園で日々を過ごす中で、私はなんとなく、気がついていました。
グループ療育だからこそ、うまくいっていたのだ、と。今の息子の姿が、これからの生活の中で辛い思いをするであろう、息子の本来の姿なのだ、と。
私に療育の経験がすでにあったから
息子のグループ療育では、私は、娘の療育で培ってきた親力を、フルパワーで駆使していました。月2回程度のグループ療育くらいなら、そこまで息子がつらい状態にならないようにコントロールするスキルを、私はすでに持っていました。
娘の療育のころの私は、ペアレントトレーニングを学ぶところからのスタートで、娘のできないことに落ち込み、悩み、必死なだけでした。
今の私は知識もつき、「こう言ったら息子はできる」「こう伝えたら、息子にもわかる」ということを、少しは自力で考えつくことができます。
でもそれは、あくまでも、娘の療育で培った親力です。つまり、娘のようなタイプの子の対応に、特化したスキルなのです。
娘と息子は、まったく違うタイプです。娘は、
- 気が散る
- 不器用
- 記憶力が悪い
- 我を通すことも、あまりない
- 素直すぎる娘
反抗や拒否なんかしないよ。頑張るの大好き。
という子供でした。息子は、
- 器用で
- 数字もひらがなもすでに勝手に覚えた
- しかし偏食がひどい
- コミュニケーション能力がかなり弱い
- やりたくないことには癇癪、全力拒否あるのみ息子
やりたくないことはやりたくない!
です。
その子によって、親に求められるスキルは、変わってきます。娘用の親スキルでは、本来の息子の特性には、全然太刀打ちできないのです。
グループ療育には、給食も昼寝もなかったから
グループ療育の内容は、お茶・トイレ休憩を除くと、ほとんどグループでの「遊び」でした。息子にとって、楽しいことが大半でした。
コミュニケーションが一方的で取りにくいという問題はありますが、楽しいことだけなら、息子は集団の中でもわりあいにうまくやれるのです。
母子通園療育の内容は、ほとんどが「生活」のことです。息子にとって、大嫌いなことばかりです。

やりたいことしかやりたくない
そんな息子には、いきなりうまくいくはずもありません。
そして療育園で療育している「生活」のことは、これから先、保育園や学校、就職などのステージすべてで、ついてまわることなのです。
泣きわめいて拒否する息子を見ながら、私は息子の将来に対して、改めて暗澹たる気持ちを味わう日々でした。
あまりに療育を拒否する息子に、母も心が折れかけた
食事、排泄、着替え、昼寝、すべてを嫌がる息子。怖い、いつもと違うことが不安で、安心できない息子。

まだ始まって1~2か月しかたっていないし、母がこんなに心折れてはいけない…。
できるだけ伸ばしていくために、通い続けなければ…。
と思うようにしていましたが、昔、大喜びで療育に通っていた娘と比較して、

こんなに嫌がってるのに、本当に成果が出るだろうか…?
やり方が間違っているんじゃ…?
と、私はそれまでの知識や経験を打ち砕かれる思いで、療育園に通っていました。そういう親の気持ちも、もしかしたら息子に伝わっていたのかもしれません。
息子が少し落ち着き、母子通園療育の生活への拒否感が減り始めたのは、通い始めて3か月を過ぎたころでした。
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