母子通園1年延長決定。発達障害疑い療育中の息子に必要なのは、保育園入園ではなくさらなる「積み上げ」だった

母子通園療育が1年延長されることが決定した息子 息子の発達
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3歳の未満児学年で、発達の偏りが認められ、母子通園療育に通い始めた息子。

息子は、

  • 極度の偏食
  • 思い通りにならないと癇癪を起こす
  • ひどく怖がり
  • 感覚過敏の傾向

などで「食事、排泄、身支度などの生活習慣」の練習が、本当に難しいです。コミュニケーション能力がとても低く、こちらの指示も通りにくい子どもです。

けれど、母子通園療育に通い始めて半年余り。先生方のきめ細かい働きかけで、息子は本当に少しずつ、スムーズに生活するスキルを身につけ始めました。

一方、親と療育園とでは、

息子くんは、来年度、保育園年少クラスに入るのか、療育園で母子通園療育を継続するのか?

という話し合いが行われました。息子のできることとできないことを見極めたとき、

みどり
みどり

やはり保育園年少クラスよりは、母子通園療育の継続を…

というのが、親と療育園側との共通意見でした。

けれど私は、実は、療育園の先生方の前でも息子の前でも、

みどり
みどり

保育園年少クラスには、入れないんだ…

という残念な気持ちを、ずっと押し隠していました。カタチだけでも、息子のことを「理解」している親でいたかったのです。

今回は、母子通園療育に通い始めて半年余りがたった時の息子の様子をまとめたいと思います。

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母子通園療育~半年たった、息子の様子

半年余りの母子通園で、療育園の1日の流れをようやく理解し始めた息子。やりたくないことを「拒否」する度合いは、少しずつ減りました。それでも、「できるようになる」ことには、まだまだ先が見えない状態が続きました。

偏食と食事に関する癇癪は、相変わらず…

母子通園が始まってすぐのころの、給食のときの息子は、

  • 教室に入ることすら拒否
  • 給食を見ると泣いて大暴れ
  • 庭に脱走

という強い拒否感を見せていましたが、母子通園が始まって3か月もすると、

  • 教室にはしぶしぶ入る
  • 給食を見ても泣き喚かずいりません」と給食をお盆にのせる
  • 「いただきます」「ごちそうさま」が言えるようになる
  • 脱走の頻度が減る

という感じで、わずかながら拒否感が減った様子でした。

しかし、ここから停滞が始まりました。母子通園から半年たっても、なかなかここから先のステージには進めません。

息子
息子

おいしいご飯をいただきます。

(白いご飯だけ少し食べる)

息子
息子

これ食べられません。いりません。

(すべての食器を片付けお盆にのせる)

息子
息子

おいしいご飯ごちそうさまでした。

毎日毎日、この繰り返しでした。一口でも「食べる?」などと勧めると、ギャーッと癇癪を起こしてイスから転がり落ち、そのまま机の下にもぐりこんだりします。

慣れてきている様子なのに、「食べる」ということそのものに対しては、一向に拒否感が減らない様子でした。そして家に帰ると、息子はもくもくとおにぎりを食べ、牛乳を飲んでいました。

ある程度でもいい、療育園で「食べられる」ようになるのはいつなのか

私には、そんな日は永遠に来ないような気がしていました。

お昼寝は、スムーズに眠りに入れるように

寝つきも寝起きも悪い息子。お友達と一緒の大部屋ではとても寝られず、個室を用意していただいていました。

そんな息子も、母子通園が半年たったところで、個室ならば、スムーズにお昼寝できるようになりました。

  1. パジャマを着る
  2. お昼寝の部屋に入る
  3. 絵本を読む
  4. 寝る

という流れが受け入れられたようで、お昼寝布団に入ると3分ほどで眠れるようになりました。次の目標は、「個室でなく、大部屋でお昼寝する」と設定されました。

療育園のトイレの便座に、座れるようになった!!!

母子通園が始まって最初のころ、トイレに入室することすら拒否していた息子。3か月たってようやく入室だけはできるようになった息子。

その息子が、母子通園が始まって半年。ついに、嫌がらずに便座に座れるようになりました!

当然、いきなりできるようになったわけではありません。毎日の着替えのときに、おむつも取り替えることになるので、その時に毎日、便座に座る練習をしました。

最初は、

息子
息子

怖いよー!無理だよー!!!

と泣き叫んで私にしがみついていた息子。こんなに怖がっているのに強制的に練習させることは、本当に息子にとって良いことなのか、私は不安でした。

それでも、ちょっとおしりを便座に付けたところで褒めまくることをくりかえしていると、

息子
息子

10だけ!10だけ!

と、10数える間は座って我慢できるようになりました。そのうち、

息子
息子

30だけすわる。

というようになり、半年経つとついに、

息子
息子

100すわる!(ドヤ顔)

と言えるようになりました。

ここに関しては、本当に成長しました。息子がイヤイヤながらでなく、誇らしげにトイレに座ってくれるようになったことは、とにかくありがたいことでした。

しかしまだ、「おしっこする」ということ自体はとても怖い様子でした。でも、

みどり
みどり

これは、そのうちできるようになりそう!

と、私は希望を持てるようになりました。

絵カードだけでなく、言葉での指示も少し聞けるように

かなりの視覚優位がある息子は、その日の予定や次に行く部屋などの認識に絵カードを使っていました。

練習を重ね、絵カードを使った指示には、だいぶスムーズに動けるようになりました。(給食や着替え、トイレは別として)

療育園の先生方は、いつも絵カードと一緒に、必ず「ことば」でも言い聞かせるようにしていました。それで、「絵カードの内容」と「先生方の語りかけ」が、少しずつ一致し始めた息子。

「手を洗おう」「椅子に座りましょう」といった毎日繰り返される指示には、少しずつ、「ことばだけ」で反応できるようになり始めました。

いつもくりかえされるルーティンワークに関しては、言葉が伝わり始めた、という印象でした。

来年度もさらに1年、母子通園療育を継続することに…

息子が母子通園療育を開始して、半年弱の年末。

来年度、息子くんは保育園年少クラスに行くか、療育園で母子通園療育を続けるか?

という打ち合わせがありました。

保育園年少クラスに、入園させたかったけれど…

療育園に通い始めた当初の目標としては、

みどり
みどり

息子が集団生活に慣れて、来年の春になったら楽しく保育園に通えたらいいなあ…

という見通しでした。

ところが母子通園療育を始めてみると、息子には「保育園入園」など、途方もなく彼方にある目標だったようで…。食事・排泄・着替えなど、生活の基本的なところからすべてが難しい状況でした。

通い始めて半年、息子なりに成長しているところもたくさんあります。でも、「年少児として、保育園でやっていく」ということは、到底無理、という状態でした。

療育園の判断も、親の方の意見も、一致していました。

息子は、次年度からも、療育園で母子通園を継続することが決まりました。

息子に今必要なのは、ていねいな療育で、できることを増やすこと

保育園と、療育園。

小学校入学、中学、高校、就職、成人…息子の、遠い先の未来を見据えたとき、今現在の息子に必要な環境は、どちらにあるのか?

それは、見るからに明らかでした。

まだまだコミュニケーションが難しい息子は、療育園で、もっともっとみっちりと療育をして、できることを増やしていくことが最善だと思われました。

できることを増やして、自信を付けさせて…。

楽しく集団生活を送れるようになってきたら、ようやく次のステップへ行ける。

それが、息子本人にとっても一番幸せな過ごし方になるだろう。

と、親は、思うしかない。

息子の現状は、そんな状態でした。

けれど私は、表には出しませんでしたが、実は、心の中ではとても残念でした

みどり
みどり

息子は、「普通」の年少クラスの子どもたちのレベルには、到達していないんだ…

ということを、改めて「現実」として、突き付けられた気持ちでした。

長い目で見たときに、本人が伸びるために、今は積み上げる時期。

そう理解はしていても、ただ、残念でした。

息子の未来が心配で、重い気持ちでした。次のステップに進む日は、いつか来るのか。そんな先の景色は、私には見えませんでした。

週3日から週5日に…親の負担も増える

ここまでの息子の母子通園療育は、未満児年度だったので「週3日」でした。年少児年度になると、「週5日」で通うことになります。

つまり、親は、平日はまったく身動きが取れなくなる、ということです。これは、私にとってはかなり重い負担に感じました。

私だけではないと思います。年少児で療育園に母子通園している親御さんは、仕事を減らしたり、兄弟児を背負って連れてきていたり。

我が子のためにみんな必死で、自分の生活時間をやりくりしながらがんばっていました。

息子が「普通」のレールの上を走っていくことは、もうないのかもしれない

「普通の子ども」のように、「3歳を過ぎたら、保育園や幼稚園に入園する」という「普通のコース」を進むことはなくなった、私の息子。

私は、大人になるまで、いわゆる「普通のレール」の上を歩んできました。

普通に学校に行き、就職し、結婚し、子どもを産みました。

私の周りにいた人たちは、多くの人が同じように「普通のレール」の上に乗って歩いていました。

そんな人生しか見たことがなかったので、私には、息子がこれから生きる「道」が、さっぱり見えませんでした。

最初からいきなり、「普通」のレールの上に乗れなかった息子。

息子はもう、金輪際「普通」のレールの上を走ることは、ないのかもしれない。

みどり
みどり

息子を乗せた電車は、どこに走っていくのかな…

そんな、あきらめと不安ばかりが心に湧き上る日々でした。

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