発達凸凹な我が家の子どもたちは、バレエを習い事にしています。
とはいっても、自分の意志で始め、発達障害に理解のある先生にめぐりあい、不器用・注意欠如…と明らかにバレエに向いていない中でも、上達することをあきらめずにコツコツと続けているのは、娘の方だけです。
息子の方は、娘のおまけで習い始めたところで、しかもまだ3歳。しかもしかも、発達障害らしい特性もばりばり。そんな状態なので、レッスンには、ちっともまじめに参加できていません…。
昨年の冬、そんな息子が、初めての「バレエの発表会」の舞台に立つことになりました。
発達障害疑いで療育中の息子を、発表会に参加させること。それは、親である私にとっては、
- 息子本人にとって、どんな体験になるか?
- 先生やレッスンのメンバーに、どれくらいのご迷惑・ご負担をかけるか?
- そもそも、場所見知りがひどい息子が、舞台に出られるのか?
- 振付がちゃんと理解できるのか?
そういったことを、心配し、悩み、半分あきらめながら淡く期待し、葛藤し続ける重圧でした。
迎えた、発表会当日。
息子は、息子本人にとっても親にとっても、
- 経験になり
- 学びになり
- 忘れられない思い出になる
そんな印象深い姿を、息子らしいかたちで見せてくれました。
今回は、息子の初めての発表会のときの思い出を、まとめてみたいと思います。
療育中の息子が、バレエを習い始めたきっかけ
娘をレッスンに送迎するときは、いつも息子も一緒に連れて行っていました。そんな流れで、息子も3歳になってしばらくして、バレエ教室に入会しました。
場所見知りの息子が、嫌がらなかったから
息子は、強い場所見知りを見せることがあります。
行ったことのないお店、初めて行ったキャンプ場、たまに行くおじいちゃんおばあちゃんの家…。息子は、その場所の「楽しい・怖い」に関係なく、未知の空間には過度に警戒します。
そんな息子が、バレエのレッスンには、臆することなく入っていけます。
息子が逃げ出さない、貴重な場所。

これは、保育園や学校とは違うけれど、あの息子でも、集団の経験を積むことができるかもしれない…
私は、そう期待しました。娘が信頼している先生のお誘いもあり、入会することになりました。
生まれる前から、通い続けていたレッスン室
息子が場所見知りもなくレッスン室に入れたのは、「生まれる前から通っていた場所だから」だと思います。
息子にとってのレッスン室は、親のおなかの中にいるときから週2日は通っている、いわばホームグラウンドです。息子にとってのレッスンメンバーは、いつもレッスン室にいる、見慣れた、安心感のある人たちです。
今現在の息子に、イチからそのような「行き慣れた、快適な空間」を構築するのは、かなり大変だと思います。
バレエのレッスン中の、息子の目も当てられない様子
嫌がらずにレッスン室に入れる息子の様子に、私が大きな進歩を期待して、始めたバレエ。
しかし、

やりたいことしかやりたくない!
という息子のレッスンの様子は、それはもう、ひどいものでした。
窓の外を走る車を見たり、勝手に走り回ったり…
幼児クラスでは、
- 柔軟性を付けていくための体操
- 基礎的なステップや動きの練習
などを、子どもたちが好むような童謡などの曲に合わせて、小さい子でも楽しめるようにレッスンが行われています。
しかし息子は、まったく我関せず。レッスン中、勝手に走り回ったり、窓の外を走る車を眺めたり。たまに気が向くと、ふらりとみんなの輪に入ってマネをする程度です。
みんなの輪の中に連れ戻そうとしても、泣いて暴れて、床に寝そべっていました。最初の1~2か月ほどは、

隙あらば脱走しよう
という様子が、ありありと分かりました。
さらに、私がレッスンを見学していると、甘えているのか、

抱っこ!抱っこ!
ばかり。私はあっという間に、レッスン室を閉め出されてしまいました。一緒にレッスンを受けている娘に、

どうだった?息子、ちゃんとやってた?
と聞いても、

うん!ちょっとは、ちゃんとやるときもあるよ!
と、いつもの「他人のよいところに着目する」という、余計な癖を出す娘。全然、現状報告になりません…。息子は実際には、本当に、気が向いたときしかレッスンに参加していない様子です。
踊ること自体は、嫌いではない様子
家では、YouTubeなどの動画が大好きな息子。
気に入った歌は驚くほどにすぐに、完璧に覚え、キャラクターのダンスなども上手にマネができます。NHK教育テレビなどはあまり見ませんが、唯一大好きな「ピタゴラスイッチ」でも、「アルゴリズム体操」などは、理解して楽しげにマネをしています。
踊ることも、歌うことも、嫌いではなさそうな様子の息子。
しかし、「レッスンに参加する」ことは全然できませんでした。
出ていかないだけでも、成長です
始めてすぐに、

やっぱり、発達に偏りがある息子には、バレエのレッスンなんて、とてもじゃなかったな…
と、息子の様子に早くも失望とあきらめを感じた私。月謝もムダに思えたし、これ以上他のメンバーにご迷惑をかける前に、息子を退会させたくなりました。
しかし、先生はちっともあきらめておられませんでした。
「息子ちゃん、『脱走しないで中にいる』ようになっただけでも、進歩してると思いますよ。
とりあえず今は、教え方をいろいろ工夫しながらやってみましょう。」
そう言って、手取り足取り、粘り強く教えてくださっていました。
息子が目を輝かせた、リハーサルと発表会本番
息子が入会して半年弱。田舎の駅前のひなびたホールで、地域のさまざまな団体が集う、こじんまりした発表会が行われました。
子どもたちが習っているバレエ教室も、30分ほどの出番がありました。
その発表会に、息子も出演することになりました。
先生は、息子が少しでも安心できるようにと、姉である娘とペアで踊る振付けをしてくださいました。
舞台に行く前に、「絵カード」を用意
息子はどうやら、たいへんな視覚優位です。言葉で入らない指示や注意なども、絵を使うと理解がとても早いです。
そんな息子のために、私は、
- 振付けの要点
- 衣装の図解
- 舞台の様子(暗幕や緞帳など)
- 発表会後のごほうび(トミカやおにぎり)
などの絵カードを、ことあるごとに先生にお聞きしながら作りました。
絵カードを単発で見せるよりも、
- 4時にレッスン室に入る
- みんなで回る
- 発表会の演目を、お姉ちゃん(今回は娘)と手をつないで踊る
- ご挨拶
- おにぎり
など、絵カードに番号を振って説明しながら見せると、

うん、わかった。
と、息子も多少はレッスンへの真剣さが増した様子でした。
衣装を着るのに大騒ぎ…
しかし、いろいろあって、息子の衣装が届いたのは、発表会1週間前。見たこともない雰囲気の、青くてツルツル、ピカピカしたサテンの衣装。息子は、

ヤダーーー!着ないんだよーーー!
と、大騒ぎ。絵カードで「衣装を着て踊る」という説明すると、ようやく騒ぐのはやめました。が、そこからは、毎日「衣装を着る」練習が必要でした。
腕を通せたらほめ、次の日はボタンが留められたらほめ…。1週間の期間で、しぶしぶながらも、何とか着慣れることはできたようでした。
「バスが見えるよ!」
リハーサルと本番の発表会、当日がやってきました。
この日も、衣装を着るのもしぶしぶ、そして舞台メイクなどは頑として拒否する息子。

これは、舞台に出て発表会など、とても無理だろうな…
と、私は思いました。おそらく、そこにいた保護者みんな、そう思っていたと思います。さすがの先生も、舞台に立たせるのは厳しいかもしれない…という表情でした。
それでも先生は、
「今回は、衣装を着て、舞台袖に入ることまでできたら、十分合格だと思いますよ。
とりあえず、舞台袖まで行ってみましょう。
もし泣いて嫌がったら、お母さんと一緒に楽屋に戻ってもらえばいいんだから」
とおっしゃいました。先生に抱かれた息子は、生まれて初めての、暗い舞台袖に入りました。
ところが。
息子の反応は、周囲の予想を覆すものでした。
舞台に立った演者からは、暗い客席の後ろ上段、長いガラス窓で仕切られた「照明・音響ブース」が見えます。
舞台に立った息子はそれを見て、

バスだよ!バスが見えるよ!
とニコニコしたのです。そして、まだリハーサルで観客のいない客席に走り降りようとして、さっそく先生に止められていました。
曲が流れると、息子は、ちゃんと自分の立ち位置に立っています。そして、なんとなくそれらしく、踊っていたのです。
本当は、自分の出番を理解していた息子
今までのレッスンでは、まともにレッスンに参加もせず、関係ないことをしているか、レッスン場のすみから他の子どもたちを眺めるばかりだった息子。
しかし、そんな息子が、リハーサルでは、自分の立ち位置をちゃんと理解していたのです。
息子はそれまで、「レッスン場で決められた踊りを練習する」ということの「意味」が分かっていなかったのかもしれません。本番の舞台を見ることで、「それまでのレッスン」の意味が、息子の中でつながったのかもしれません。
視覚優位が強いので、レッスンをながめるだけで踊り自体はきちんと覚えていたのでしょう。
本番では、踊り終わって歓声をあげ、袖に引っぱりこまれる
リハーサルの3時間後。いよいよ本番の舞台が始まりました。
リハーサル時に空っぽだった客席は、8割がたお客様で埋まっていました。息子以外の子どもたちは舞台用メイクもきっちりとし、ピリピリと緊張しています。
袖で待機していた息子は、そんな異様な気配を感じてか、

僕やらない。踊らない!
とごねて、私にしがみついていました。

やっぱり、無理だったか…
と、私は半分あきらめ、しかしそれでも半分期待して、

ほら、行っておいで。息子ちゃんの番だよ。
と、息子の肩をそっと押しました。
すると息子は、はっとしたように振り返って、そのまままぶしい舞台に向かって、歩いていきました。他の子からは、少々出遅れましたが…。
曲が始まりました。
息子は、リハーサルよりも、さらに上手に、笑顔で踊っていました。1分足らずの踊りでしたが、振付け通りに娘と手をつなぎ、最後まできっちり踊りきりました。
そして踊り終わった息子は、本人なりに、かなりの達成感があったのでしょうか。なんとその場で、

やったー!やったー!
と声を上げ、バンザイをして、飛び跳ねたのです。3歳児のハプニングに、客席からは、和やかな笑いが起こっていました。
他の子どもたちは、もう袖に退場しています。息子も、踊り終わったらそのまま、袖に退場する予定だったのですが…。舞台に1人残った息子は、なおも飛び跳ねています。
そもそも、本来はバレエの舞台で声を出すのはご法度です。しかもこのままだと、1人残った息子はそのまま、客席に走って降りていってしまいかねません。袖にいた私やほかの保護者は、大慌て。先生も大急ぎで、先に退場していた年上のお姉さんに、
「舞台に戻って、息子ちゃんを、舞台から連れてきて!!!」
と指示していました(衣装を着ていない先生が、舞台に連れ戻しにいくわけにはいかないので)。
指示を受けた大きなお姉さんが手早く、息子を袖に引っぱり込み、何とか事なきを得ました。
「その子その子で、いろいろな成長の仕方があります」
初めての舞台を、とにかく踊りきった息子。
振り返ってみると、最初から最後まで、いかにも息子らしい出演でした。
私は、袖で泣いていた
発表会本番中、私は袖から涙しながら、舞台の上の息子を見ていました。
息子が、笑顔で出演できたこと。
踊りの中の自分の役割を、息子が理解していたこと。
「自分がやり遂げた」と、息子がちゃんとわかっていたこと。
息子がたくさんのことを「できた」ことが、奇跡のように思いました。
それなのになぜ。
こんなにもいろいろなことがちゃんと理解できているのに、どうしていつも会話にならないの?
なぜ、息子とコミュニケーションをとることが、こんなにも難しいんだろう。
息子が「できない」ことが、乗り越える方法が分からない大きな壁のように思いました。
そして、愛らしい王子様の衣装を着て踊る、3歳の息子。
そのかわいらしい様子に、私は、普通の子どもの親と同じように、ただただ感動していました。
「その子その子で、いろいろな成長の仕方があります」
先生は、ほっとした笑顔で、とても喜んでくださいました。
「成功、成功、大成功!
ちゃんと踊れるんですよ、息子ちゃんは!
本番にちゃんと出られて、本当に私もうれしいです」
そう言って、息子をたくさん褒めてくださいました。そして、
「お母さんは不安になることもあるかと思いますけど、子どもの成長の早さや度合いは、本当に人それぞれですよ。
その子その子で、いろいろな成長の仕方があるんです。
息子ちゃんに、とにかくたくさんの経験をさせてあげることが、今は大事じゃないでしょうか」
そうも言ってくださいました。
肝心の息子は、せっかく褒めていただいているのに、

早く帰ろうよー。
と私の手を引っ張っていましたが…。
これから先の子育てを支えてくれる、「母親の」成功体験
レッスンにもまともに参加できない、どんな行動をするかわからない、コミュニケーションが難しい、私の息子。
いくら先生のご厚意があったとはいえ、バレエの舞台に送り出したのは、「親の自己満足」以外の何物でもないと思っています。
3歳で舞台に出すということは、たとえ健常な子でも、泣いたり、はしゃいだり、粗相をしたりと、いろいろなハプニングがつきものです。息子以外の子も、いろいろありました。
とはいえ、人一倍勝手気ままな私の息子。スタッフの方々やほかの保護者の方々にも、たくさんご迷惑をおかけしたと思っています。
それでも、皆さんのご厚意に甘えて息子を舞台に送り出したのは、私が息子の「可愛い姿」を見たかったから、という自分本位な理由です。
普通の子どもを持つ親が、発表会に出る可愛い我が子に目を細めるように、私も、

我が子を、バレエの美しい舞台に立たせてみたい…
と思ったのです。
そんな思いで迎えた、発表会本番。
予想を裏切り、娘と手をつなぎ、臆せず舞台に立ち、とびきりの笑顔だった息子。
「息子ちゃん出られてよかったね!」と、ほっとした顔で言ってくれた他のお母さん方。
「これからも、一緒に育てていきましょう」とおっしゃってくださった先生方。
息子に、最初で最後かもしれない貴重な経験をさせてくださった、すべての関係者の皆さん。
たくさんの方たちに寄り添ってもらって、この発表会を体験できたこと。そのおかげで、息子だけでなく、「母親」の私自身が、貴重な「成功体験」ができたと思うのです。
これからどこまでも続く、発達凸凹の息子の行く道。
そして、私たち親にも、どこまでも続く「発達凸凹の子の親」としての行く道。
そこで、
- 息子らしい参加の仕方を、受け入れて、支えてくれる人たちがいたこと
- 親が予想もしなかったところに、息子が楽しく参加できる場所があったこと
という経験が、どれほどに私を支え、慰め、励ましてくれるか。
我が子に関してうまくいかないことがあって、親として落ち込んだときにも、この発表会の思い出が、いつも私を支えてくれています。
がんばればきっといつか、療育も子育ても実を結ぶ。
我が子がちゃんと生きていける道はきっとある。
…と、未来を信じる礎になっているのです。
発達障害の子どもを育てている「親」にも、「成功体験」が必要だと思うのです。
学校でもいい、学校以外でもいい。小さなことでもいい。
サポートしてくれる人がいて、「我が子らしいかたち」で、何かに参加することができた、という体験。
それは、我が子だけではなく、親の生きる道を支える「成功体験」になると思うのです。
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