
療育にかよったらどうかな。
という、2歳児健診での先生の言葉に、

そうですね。どんな子だったとしても、早期療育はいい影響がありますもんね。お願いします。
と答えた私。
しかし内心は、「息子は、発達障害じゃない。そんなわけがない」と、全く納得していませんでした。
けれど、実際に集団療育に参加してみると、家で過ごしているときとは違う、息子の「集団でいることの苦手さ」を、まざまざと目にすることになりました。
今回は、集団療育の様子と息子が得られた成果、その後の選択について書いていきたいと思います。
2歳児健診で引っかかり、集団療育をスタート
集団療育とは?
集団療育とは、人数がそれなりにいる集団をつくり、その中で行っていく療育です。
マンツーマンの個別療育や、小集団(3~9人くらいの人数)で行う療育とは違い、保育園のクラスくらいの単位で過ごしながら、集団の中での過ごし方を学んでいくものです。
この地域では、保育園・幼稚園就園前の子どもが対象でした。子どもだけでなく、保護者が一緒に参加する、という条件でした。
集団療育のねらいとは?
地域によりますが、集団療育を催すことには、実は、ねらいがいくつかあります。
集団生活に不安がある子の、就園に向けた練習、というねらいが、まず大きな一つ。
もう一つの大きなねらいは、発達の遅れ・偏りがある子の早期発見のための、スクリーニングとしての機能です。
就園に向けた練習
集団療育に誘いを受けるのは、主に、1歳半や2歳の検診で、集団生活の苦手さが疑われたり、親が子どもの発達に不安を持っていたような場合です。
集団療育を受けることで、
ごあいさつをする
ルールを守る
などの、保育園や幼稚園で必要なスキルの練習ができます。
私たちの住む地域では、集団療育に参加した子のほとんどが、成長したり集団に慣れたりして就園に支障がなくなり、集団療育を卒業していきます。
スクリーニングとしての集団療育
1~4歳くらいのこどもは、俗に「イヤイヤ期」「魔の2歳児」「第一次反抗期」などと言われるように、なかなか親の思い通りにならず、時に怪獣のようです。
何でも反抗する
好きなものにやたらこだわる
などの行動は、比較的多くのこどもに見られるものです。
しかし、そんな怪獣のような反応が、成長過程としてのものではなく、発達の遅れや偏りが原因である場合があります。そして、もしそうだったとしても、親には、見分けがつきにくいものです。
「ちょっと手がかかる」子どもたちが集められた「集団療育」。
私たちの住む地域では、集団療育を行う専門の先生方が、そこで一人一人のこどもを注意深く観察し、
「もっと本格的な療育が必要かな?」
と思われる子どもに、個別に声をかけるのです。
集団療育に参加してもらうことで、さらに手厚い早期療育が必要な子がいたら、拾い出しているのだと思います。
グループ療育の前段階として行われる
私たちの住んでいる地域では、
などがあります。個別療育や通所療育は、その子に合わせて、生後かなり早い段階から行うこともあります。
ですが、グループ療育は、来入園児クラスからの開催です。
このグループ療育に参加する必要がある子を、1~2歳児の集団療育の中で、専門家が見つけていくのだと思われます。
息子が受けた、集団療育の内容
2歳児健診から10日。私と息子は、集団療育に参加し始めました。
地域の保健施設の、50畳ほどの広々したじゅうたん敷きの部屋。ここでは、日替わりで乳幼児健診や国保の健康診断などが行われます。集団療育は、その合間を縫って、2週に1度の開催でした。
当時の参加人数は、20人ほどで、多くはお母さんが一緒でした。お父さんや、おじいちゃんおばあちゃんらしき付き添いの方も、ちらほら見られました。
息子が受けた集団療育の中身は、以下にあげたものです。
お名前呼び
保護者と一緒に座り、お名前を呼ばれたらお返事する練習です。
声を出すことが難しい子は、手をあげたり太鼓をたたいたりする、という手段でもお返事できます。できたらみんなで拍手。
みんなで体操
地域の保健師さんたちと一緒に、音楽に合わせて体を動かします。教育テレビで放送されているような体操だったり、保育園でよく採用されているようなお遊戯だったりします。
親も一緒にやるのですが、ごろごろ転がったり子供を抱いて走ったり、地味にきつく感じました。
サーキット
サーキット遊びとは、平均台やトランポリン、トンネルなど、さまざまな器具や遊具を並べてコースをつくり、みんなでそのコースをぐるぐる回って遊ぶものです。
順番を待つ練習や、体の機能の訓練になっていると思います。
親子のふれあい遊び
「バスに乗って」や「ダイコン漬け」など、親子でできる手遊びや体を使った遊びをします。
体を触られるのが苦手な子は、ぬいぐるみを使って一緒に遊んだりしていました。
みんなで休憩、お茶を飲む
保護者と手を洗い、トイレに行ける子はトイレに行って、みんなで座って持参したお茶を飲みます。
身辺自立の練習になっているのだと思います。
絵本やペープサートなどの鑑賞
紙芝居のように大きな絵本の読み聞かせや、保健師さんたちのペープサートなどを、座って鑑賞します。
そのころ参加していた子は、8割強が男の子だったので、「はたらくくるま」や「電車だいすき」などの乗り物関係の分野が、子どもたちにうけていました。
季節ごとの行事イベント
夏は、外の芝生敷きのエリアにプールを出して、水遊び。クリスマスにはカードや折り紙のプレゼント。運動会シーズンには、玉入れやかけっこなど。
就園に向けて行事に慣れるように、さまざまなイベントを用意してもらえました。
その他、親への働きかけなど
子どもたちの中には、
サーキットなどで順番が待てない
などなど、集団生活に適応しにくそうな様子が見られる子がたくさんいました。
しかしこの集団療育の場では、親は言い聞かせるだけ、参加しないことを叱ってはいけないことなどを指導されました。集団行動のむりじいも、しないように言われました。
スクリーニングのため、その子本来の様子を探るためなのかな、と思います。
集団療育の後は毎回、保健師さんと保護者で個別セッションがありました。保護者はそのときに、生活の中での疑問や悩みを相談できるようになっていました。
希望すれば、臨床心理士や言語聴覚士の先生との面談もできました。
集団療育での息子の様子

ま、この療育で集団に慣れたら、再来年から保育園に入るときもスムーズになるし。
と、できるだけ前向きに考えながら、私は息子を集団療育に通わせました。
しかし、前向きに考えるように努力している私の内心とは裏腹に、集団療育の息子は、やはり、少し、目立っていました。
偏食で、お茶が飲めず暴れる

まわりのみんなが飲んでいたら、お茶も飲むかも…。
と期待していたのですが、その期待はあっさり裏切られました。
息子は、がんとしてお茶を飲みませんでした。
「一口飲みなさい」などとすすめようものなら、ギャーギャーと泣きわめいて、床にひっくり返って大暴れの大さわぎです。
多くの子が座って飲んでいる中で、息子は走って部屋のすみに逃げ、そこでそのまま走り回って騒いでいました。
興味のないことには参加しない
息子は、自分のやってみたいことしか参加しませんでした。
絵本の読み聞かせがおもしろくない息子は、先生が絵本を取り出すと、すぐに走っていなくなってしまいます。ペープサートや指人形なども、内容が電車や重機ではないときには、座っているのを嫌がりました。
プールやサーキット、音楽に合わせた体操など、好きなことには大喜びで、始まるのが待てずに、フライングで外に出てしまうこともありました。
走り回るお友達を見ると、すぐ一緒に走る
息子のほかにも、すぐに走り回る子は結構いました。息子は、他の子が走り出すと、すぐに同調してしまって、一緒に大騒ぎして走っていました。
身体がしっかりと大きい息子は、走るスピードも速く、一緒に走り回るうちに子ども同士でぶつかってしまうこともありました。息子は頑丈な子だったので、ぶつかられる分にはあまり心配はなかったのですが、きゃしゃな子を転ばせてしまいそうなときには、保健師さんたちと私とで止めていました。
一部の季節のイベントを、ものすごく怖がる、楽しめない
息子は、節分やハロウィンなどの一部のイベントで、警戒心をあらわにして大パニックになり大泣きしていました。
節分は、やさしい笑顔の鬼のイラストが壁に貼ってあっただけで、そこにみんなで小さいボールを投げる、という可愛い企画だったのです。ハロウィンは、100均に売っているような、小さなパンプキンが付いたカチューシャをつけた保健師さんが、お菓子をくれただけだったのです。
しかし息子は、たいへんなけんまくで怖がり、泣いていました。私には、理由がさっぱりわかりませんでした。
水遊びプールやミニ運動会などは楽しんでいたのですが、きらきらした素敵なクリスマスカードをもらった時は、まったく興味を示さず、すぐに丸めて床に投げていました。
集団療育の成果
半年以上の集団療育を続けたことは、息子にとっても私にとっても、ためになりました。
私が感じた、集団療育の成果を、以下にまとめました。
息子が学んだこと
息子は、娘と違って「指さし」を正しく認識できる子どもでした。
こちらの指さす方向をきちんと見ることができたので、成果が出やすかったと思います。
順番を待つ、ということを理解した
最初の1~2回こそできませんでしたが、息子はすぐに「順番を待つ」ということを理解しました。
サーキットではしご渡りやトランポリンをやりたくなって暴れそうになっても、「おともだちのつぎが、息子くん。じゅんばんよ」とお友達を指しながら言うと、待機エリアで待てるようになりました。
ただ、待てるのは10秒ほどで、我慢できなくなりそうなときには、再度の声掛けが必要でした。
先生の話を座って聞く、というルールを理解した
「先生の話は、座って聞く」というルールも、3か月ほどで理解しました。
楽しくてつい立ち上がってしまっても、「せんせいのおはなし、すわるよ」と先生を指しながら言うと、座れるようになりました。
しかし、それは興味を持って参加できる分野(サーキットや体操など)に限られていて、興味が持てないことにはルールは通用しませんでした。
「ルールを理解する」ことと「ルールを守る」ことは、どうやら息子の中では、つながっていなかった様子でした。
親が学んだこと
「この子には、発達の偏りがある」と親が認識できた
日中、家で2人で過ごしているときにはわからなかった、集団の中で過ごす息子の姿。
息子は、私が思っていたよりずっと、集団の中で過ごすことが難しい子なのだ、と、私も認識せざるを得ませんでした。
多くの子が、暮らしの中で、教えなくとも自然に学びとっていくコミュニケーションや行動様式を、息子は半年かけても、習得するのが難しかったのです。
自然に学べない、ということの意味を、私は娘を育ててきた中で、よくわかっていました。
このまま就園で、保育園などに放りこんでも、息子がうまく成長できないかもしれない。息子にとってつらい保育園生活になってしまいそうだ、と、私は重い気持ちで認識しました。
どうしたら理解しやすいか、の傾向がわかってきた
色や数字は、認識しやすい。
簡単な言葉で予告しておけば、暴れたり泣いたりしないで次のルーティンに移れる。
このような、息子が理解しやすい傾向も、集団療育の中で見えてきました。
例えば、「くつをはこう」と言うよりも、「黄色、はこう」と言えば、黄色の靴を履く。「あと10で、サーキットおしまい、体操だよ」と時計を指して言えば、スムーズに切り替えられる。という具合です。
本人に理解しやすいかたちでインプットすることで、実はいろいろなことができる、ということがわかってきました。これは、日常をいつも息子と一緒に過ごしている私にとって、大きな収穫でした。
集団療育から1段階上の、グループ療育へ進むことにした
集団療育の中でも、さらに少々目立っていた息子。やはり、次年度のグループ療育を受けてはどうか、と提案を受けました。
次年度のグループ療育は、やはり必要
息子の発達の偏りを、まざまざと認識した集団療育。
このままでは、さらに翌年の保育園入園のとき、息子がつらい思いをするのははっきりしています。私は今度は迷わず、グループ療育の参加をお願いしました。
親の気持ち
息子に発達の偏りがあるだろう、という重い認識は、確かにしました。けれど、私は、どこか楽観的な気分でした。
大きく生まれて、体もしっかり頑丈な息子。
娘の幼少期よりも、ずっと器用で意志の強い息子。
たくさんの色の名前も知っていて、数字も読める息子。
そして、娘を育ててきて、発達障害に関する知識も経験も豊かな、自分。
次年度の療育を親子で受ければ、息子はきっと、「ちょっと変わってるけど、頭のいい、元気な子」という形で成長するはず。私は、そう思っていました。
集団療育を通して発達の偏りを認識した私は、息子とともにグループ療育に通い始めました。グループ療育は、息子に、短期間のうちに大きな成果をあげました。
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