ADHD(不注意優勢)と自閉スペクトラム症をもっている娘の在籍クラスとして、「特別支援学級」を選んだとき、親として、特に心配していたことがあります。

特別支援学級にいると、普通のともだちができないんじゃないかな?

普通の友達がいないと、ますます、まわりの人の気持ちがわからない子になってしまうんじゃないかな?
軽度発達障害があると、人とのコミュニケーションが、どうしても難しくなってしまいます。
少しずつでもいいから、それを改善してほしい。そのために、交流学級(通常学級)に積極的に参加してほしい。たくさんの人と触れ合ってほしい、と私は思っていました。
親の思惑に反して、娘は結局、低学年では特別支援学級がメイン、高学年では特支学級と通常学級が半々、という形で、学校生活を送ることになりました。
でも、ちゃんと、「ともだち」は、できたのです。娘の心の支えになってくれる友達は、ちゃんと現れたのです。それも、何人も。
もちろん、他人と「友達」という関係を築いていく過程で、娘は失敗もたくさんしました。傷つくことも数知れずでした。難しい局面に立ったこともありました。
それでも、娘は、ひとりぼっちではありませんでした。
そして今、娘は、他人の気持ちが理解しにくくても、理解しようと努力して、娘なりにいろいろ工夫しています。相手が、大切な友達や、クラスの仲間だからです。
人間関係を、大切にしたい。そう思えるように、娘はちゃんと学んでくれたのです。
たくさんの人と触れ合うことが、本当に必要だったのか?そもそも娘は、どんな友達を求めていたのか?今回は、娘の「ともだち」について、考察したいと思います。
幸せな体験談~保育園からの幼なじみ
娘には、保育園時代からずっと仲良くしている、幼なじみのRちゃんというおともだちがいます。
小学校のクラスも、ずっと一緒です。たまにRちゃんとけんかになってしまうと、娘は、誰とトラブルになるよりも落ち込みます。
多分、娘にとって、1番大事なお友達の1人だと思います。
包容力があって、並み外れたコミュニケーション能力を持つ、Rちゃん
Rちゃんは、3人兄弟の1番上の子です。本当にやさしくてしっかりしていて、Rちゃんのお母さんは、Rちゃんを自分の片腕のように思っているようでした。
リーダー気質とは違う、圧倒的な包容力
我が家の娘のような難しい相手とも、難なくコミュニケーションをとれるRちゃんは、驚異的なコミュニケーション能力をもっています。
リーダー気質、とかみんなを引っ張っていく、という風ではないのです。Rちゃんのコミュニケーション能力は、その共感能力にあるのだと思います。
娘が、時系列が多少めちゃくちゃなおしゃべりを展開しても、Rちゃんは娘の「感情」の部分に共感して、娘と一緒に話題を展開していく、ということを、いとも簡単にやってのけるのです。

〇△×〇△×〇△×(ちょっと理解しにくいおしゃべり)……のゲームがすごく面白くて、昨日はもう夢中になっちゃって全然眠れてなくて体育の時間眠すぎてころんじゃったのが痛かったよ~

そんなに面白いの?えーやってみたい。
今度そのキャラの絵を描いてよ。
といったぐあいです。
小学生にしてこの会話が自然にできる、その圧倒的な包容力。親も先生もかなわない、高いコミュニケーション能力の持ち主なのです。
Rちゃんはダンス、娘はバレエという、微妙な畑の違い
Rちゃんは、ダンスが好きで、毎日のように練習に打ち込んでいます。
習い事のバレエのレッスンに、やっとのことでついていっている娘とは、Rちゃんのダンスのレベルは桁違いで、将来プロになるというくらい、上手で熱心で、コンクールにも何度も出場しているそうです。
それでも、同じように「踊り」の世界に魅了され、打ち込んでいるという部分で、友達としての意識が高まるようです。
そして、「ダンス」と「バレエ」という、微妙に違うステージに立っていることで、変にライバル意識を持つこともなく、練習がつらい時期も、お互いに励まし合っています。
大切な友達だから、お世話係にしないでほしい
保育園時代からその高いコミュニケーション能力で、娘と仲良くなってくれたRちゃん。
その大事な幼なじみだからこそ、私は、親として「Rちゃんを娘のお世話係にしないでほしい」という強い希望を持っていました。
就学前の、学校側からの打診
小学校入学前、小学校側から、

娘さんの、保育園での仲良しのお友達を教えてください。
交流学級のクラス編成で、考慮に入れたいので。
と打診がありました。
これを聞いたとき、私は、

小学校の先生方は、Rちゃんを娘のお世話係にするつもりなのではないか?
と、怖くなりました。娘の貴重な友達関係が、そんなことで壊れてしまったら大変です。
私はRちゃんの名前は告げましたが、それと同時に、

絶対にRちゃんを娘のお世話係にしないでほしいんですけど。
と小学校側に強く要望しました。
学校側は、

どの子でも、子ども同士でお世話係にするようなことはしませんよ~。
と笑って言っていましたが、私は、それはわからない、と疑いの気持ちを持っていました。
子どもがお世話係を直接頼まれていなくても、なんとなくそのような無言の圧力を感じてしまったら、同じことだからです。
結局、娘とRちゃんは、通常学級で同じクラスになりました。
ですが、生活班は違う、という微妙な距離感を作ってもらいました。
大切な友達だからこそ
私は「Rちゃんを絶対にお世話係にしないで」という要望を、入学後も、定期的に先生に伝えるように心がけていました。要望を継続することで、学校側に忘れられないように、こちらの本気度が伝わるようにと思っているのです。
そして、Rちゃんのお母さんにも、

何かご迷惑になることがあったら、遠慮なく言ってください。
と、定期的に伝えていました。
Rちゃんのお母さんは、Rちゃんと同じようにやさしい人で、

そんなことを気にしないでくださいよ~。
といつも言ってくれますが、私はそれに甘えてはいけない、といつも思うようにしています。
大切な友達だから、過度に負担をかけたくないのです。
娘がいじめられていたとき、Rちゃんも苦しんでいた
娘がまだBちゃんからいじめを受けていたとき、帰り道が同じ方角だったRちゃんは、それを知っていました。
2人でいるときは友達なのに、みんなでいると離れてしまう
Rちゃんは、娘と2人でいるときは、いつも通り仲良く接してくれていました。
でも、人がたくさんいて、その中にBちゃんがいるとき、Rちゃんは娘から離れて歩いていました。
Rちゃんは、集団の流れに逆らって正論を言うタイプではなかったので、帰り道では、多勢だったいじめる側についてしまっていました。
集団というのは、不思議なものです。
あんなにやさしいRちゃんも、学年1番足が速いCくんも、いつも優等生のDちゃんも、下校中に1人がいじめっ子になってしまったら、みんなで同調して加担してしまうのです。
Bちゃんも含めて、1人1人は、みんな優しい子だったのに。
学校にいるときは、いじめたりしないのに。
「私にも、どうしたらいいかわからないよ!」
娘はある日、Rちゃんと2人になったときに、どうしてみんなと一緒になると自分から離れてしまうのか、泣きながら聞いたそうです。
Rちゃんは、

私だって本当は、娘ちゃんをいじめるようなことしたくない。
でもみんながやってると、なんでか一緒にやっちゃうの。
私にも、どうしたらいいかわからないよ!
そう言って、一緒に泣いたそうです。
その話を聞いて、娘は苦しんでいたけれど、Rちゃんも苦しんでいたんだな…と、本当に胸が痛くなりました。
みんなが高学年になった今、娘はBちゃんとも友達関係を維持し、Rちゃんとは変わらず親友です。子どもというのは、たくましいものです。
成功体験談~習い事のともだち
娘は、習い事としてバレエを続けています。
「習い事のともだち」というのは、ケースバイケースではあると思いますが、発達障害を持つ子どもにとっては、意外とトラブルなく付き合いやすいものだ、と私は感じています。
良い教室に巡り合えて、本当にありがたいです。
娘にとっても、トラブルになりにくい習い事の場は、安心して友達といられる、大切な場所になっているようです。
常に、先生と親が関与している
踊り関係やスポ少などの習い事は、親がどっぷりと関与することが多いものです。これが、娘にとってはメリットになったと思います。
娘が間違いそうになっても、フォローしやすい
持ち物をレッスン場に忘れたり、次のレッスンの予定を分かっていなかったり…
学校と同じように不注意優勢が前面に出ていた娘ですが、常に親が待合で待機できるので、そういったミスのフォローがしやすかったです。
常に大人の目があるので、トラブルになりにくい
また、常に親の目があるので、子どもたちも無用なトラブルは起こしません。
何か至らないところがあれば、すぐ親が注意できます。そんな中で、少なくとも小学生のうちは、子ども同士でトラブルになることはほとんどありません。
たまにしか会わないから、こじれにくい
習い事は、仲間たちとたまにしか会えない、ということもメリットになっていました。
週2回しか会わない
小さなお教室だったこともありますが、それぞれ学校や学年が違い、本当に週2回のレッスン日しか会わない仲間たち。
これが、子どもたちにとっては「たまに会える友達」という形で、むしろ仲良く盛り上がれるようでした。
学校の人間関係が持ち込まれない
同じ学校のお友達も数えるほどしかいなかったので、娘は学校でトラブルになってしまっているときも、習い事にそのトラブルを持ちこまずにいられました。
学校で友達を怒らせてしまったり、傷ついて帰ってきたりしたときでも、習い事のお友達とは、笑顔を取り戻して話ができるようでした。
小さいころからの付き合いで、素のままでいられる
娘がバレエを習い始めたのは、4歳の誕生日からでした。
そのころの娘を知っている仲間たちばかり、という状況は、娘にとっても私にとっても、きもちが楽になるメリットがありました。
今よりさらにひどかった、保育園時代からの仲間
教室に入園したころの娘はと言えば、いまよりもずっと、ADHDの注意欠如も自閉的な部分もひどい状態でした。親である私は、これは「個性」だと思っている、という始末の悪い状況でした。しかも協調運動に大きな問題を抱えていた娘は、不器用すぎて、バレエには全く向いていませんでした。
ただただ、本人がどうしてもバレエがやりたくて、入れてもらったのです。よくもまあ入園させてもらえたものだと思います。先生が、理解のある先生でした。
みんなが、「成長したね~」という目で見てくれる
親御さんも子どもたちも、そのころの娘を知っている人たちばかりなので、偏見などはないようです。むしろ「本当に、娘ちゃん成長してるよね~」という視線で、見守っていただいていると思います。
バレエの世界なので、上を目指す人たち同士では、バチバチといろいろあるようです。しかし、こと娘に関しては、不器用すぎてライバルにもなりえないためか、どなたにも皆、あたたかく見てもらえます。
子どもたち同士でも、もうすっかり「娘ちゃんはちょっと変わったところがある人」と認識されているので、たまに娘がおかしなことをしていても、気にしないそぶりでいてくれます。
人間関係に過度に気を遣わず、自分自身に集中できるこの環境が、娘にとっては安心できる場所なのです。
バレエは、まじめで自分を高めることに熱心な子が多い
バレエを続ける子は、まじめで、努力を怠らない子が多いです。娘にとっては、どの先輩もあこがれのお兄さん、お姉さんです。あんな素敵な人になりたい、というモチベーションにもつながっているようです。
発達に偏りがある娘には、

こうなりたい!
と思える理想的な人間像がそこに具現化していることは、ものすごく理解しやすい世界観である、というメリットになります。
どの子も、模範になるような努力家
そして、まじめで努力家なお姉さんたちから見ると、どんなに不器用でも、泣きながら練習に取り組んでいる、「絶対にやめないで続ける」と豪語している娘は、なんとも好ましい存在として映るようです。
先輩の皆さんから可愛がってもらえることは、娘の自己肯定感を高めるのにかなりの効果がありました。
そして、好きなことには夢中になって打ち込む、という娘の自閉的な部分は、自分を高めるために突き詰めて努力する、という教室の先輩たちの姿勢と、ちょっと似たところもあります。
これも、娘が受け入れてもらえる部分なのだと思います。
先生の存在が絶対なので、先生に叱られるようなことはしない
お稽古事、という教室では、良くも悪くも先生の存在が「絶対意思」です。
子どもたちは、先生にとがめられるようなことはしません。「不器用な人をからかう」というような事態は、少なくともこの教室で先生が見ている間は、起こらないのです。
もっと成長して、子どもたちが自分のスマホを持つようになると、分かりませんが…。

特別支援学級の体験談~この子たちには、共感能力がない?
ここまで、普通クラスの友達や習い事の友達について触れてきましたが、やはり、娘が多くの時間を共に過ごしてきたのは、特別支援学級の友達でした。
入学してすぐ、特別支援学級で過ごすようになった娘。
クラスメイトたちは、「協力」とか「助け合い」とか、そういうものとは無縁な世界にいるように、私からは見えました。ここで「友情」をはぐくむなど、おおよそ期待はできない、と思いました。
ですが、2年、3年と特別支援学級の中にいる娘を見つめていく中で、

『特別支援学級だから、友達ができない』とか、
『発達障害だから、人の気持ちがわからない』という固定観念が、
間違っていたのかもしれない…
と、私は考えるようになりました。
ちょっと不思議な、特別支援学級の仲間意識。それについても、考えてみました。
親から見た、特別支援学級のクラスメイト
私や夫から見ると、参観日に見る特支のクラスメイトたちは、正直言って理解不能でした。
先生に汚い言葉を使い、漢字の練習をするというと鉛筆や消しゴムを投げ、気に入らないと机にうつぶせて寝る、イスでも机でも扱いは乱暴…。みんな、全員男子・自分大好き・他人をコケにする・一言いうと3倍返し、やる気がゼロに見えることも多々ありました。
娘は紅一点、特支のクラスの中にいると、おそろしく可憐に見えました。
夫など、本心では、あの特支のクラスメイトの中で可愛い娘を学ばせることを、あまりよく思っていない様子でした。
私は、

娘が感化されて汚い言葉を使ったら嫌だな…
とか、

まさかと思うけれど、あの子たちに暴力を振るわれないか…
など、心配ばかりしていました。
娘から見た、特別支援学級のクラスメイト
娘は2年生の中ごろになってようやく、

あのね、今日ね…
と、学校での様子を親に話してくれるようになりました。しかし、その話の内容は、8割がた、特支のクラスメイトをほめるような内容だったのです。

あの、クラスメイトたちを、ほめている…。
私には、とても理解しがたいことでした。
クラスメイトの悪口を言わず、ほめる娘
娘はいつも、特支のクラスメイトたちを話題にするとき、話の最後は「ほめること」でしめていました。毎日のように、会話の中で口汚くアゲアシを取られたり、掃除の時間にホウキを投げられたりしているのに、です。

今日はKくんがホウキを投げてイヤだったけど、Kくんは本当は、私が勉強で困ったとき教えてくれる、優しい子なんだよ。
といった調子です。
参観日でのクラスメイトの様子を、フォローする娘
参観日の、クラスメイトたちの態度についても、そうでした。娘は参観日から下校すると、その日の話の〆ではいつも、クラスメイトたちのフォローに徹していました。

Sくんはホントは、いつもの授業では、ノートをとるのがキライだけど、今日はノートを書いていたんだよ。
すごく頑張ってたと思う。

ずっと机で寝てたのは、恥ずかしいからだよ。

Mくんが先生に汚い言葉を使うのは、先生に甘えてるんだよ。
といった感じでした。
娘は、私に対して良い子ぶって、他人をほめていたわけではありません。
いつも特別支援学級の先生方が、子どもたちのよいところを一生懸命見つけてほめているのを毎日見ていたので、娘自身にも、クラスの仲間たちの「よいところを見つける癖」がついていたのだと思います。
発達障害だから、共感能力がない?
発達障害がある人は、他人の気持ちがわからない、相手の気持ちを想像できない、とよく言われます。実際に、娘自身も、友達と自分の感じ方のギャップに、日々戸惑い、苦戦しています。
でも本当に、発達に偏りがある子どもたちは、「他人との共感」を味わうことは、ないのでしょうか?
どうも、娘に言わせると、そんなことはないようなのです。特別支援学級のメンバー同士では、共感しあうことがあったり、仲間意識のようなものがあるらしいのです。
特支の仲間同士で、共感しているらしい
たまに来る保護者である私とは、目も合わせない、挨拶もしない子が、特支のクラスメイトにいます。ですがその子は、娘には心を許して、目を見て普通に会話しています。
先生に悪態をついてばかりいる、特支のクラスメイトの上級生の男の子たちが、大人びた表情で何かを熱心に相談しながら歩いているのを、私は通学路で何度も見たことがあります。
娘は、

○○組(特別支援学級)で友達が困ってると、何で困ってるのか、私大体わかるよ。
私たちみんな、似てるところがあるんだ。
と言います。
彼らは、思考回路や感じ方の特殊さが似ている友達と、共感しあっているようなのです。そんなときなら、相手の気持ちだってわかるようなのです。
多数派に、共感できないだけ
特別支援学級の子どもたちは、「すべての他人」の気持ちがわからないわけじゃない。
普通クラスのような、「多数派」の気持ちに共感しにくいだけなのかもしれない。
相手の気持ちにそれなりに気が付いていて、でもその反応が、「普通」じゃないだけなのかもしれない。
娘とクラスメイトたちを見ていて、私はそう考えるようになりました。
特支クラスメイトたちの、不思議な仲間意識
こづいたり、質問にわざとウソの答えを教えたり、あえて薄い反応だったり…。特別支援学級のクラスメイトたちは、娘に対する態度も、かなり独特です。
それでも、やり方はおかしいけれど、娘のことを好ましい仲間だと思っているようなのです。そして、特支のクラスメイトたちに、そう思われていることを、娘はちゃんと理解し、認めているのです。
娘に言わせると、

みんなはみんなを、友達で、仲間だと思ってる。
ということになります。
特支のクラスメイトでは、通常学級にいるときと、特別支援学級にいるときで、態度が違う子も多いです。通常学級にいるときは、むっつりと黙っていたり、娘のようにやたら人に気を遣って挙動不審になっていたりします。
特別支援学級にいるときには、みんな素の自分でいられます。そしておかしな態度をとっていても、それを、悪意を持ってバカにする子もいませんでした。
みんな、いろいろな場面でうまくいかずに、劣等感という傷を持った子どもたちです。「生きづらさ」ということを共感して、仲間意識を持っているのです。
発達障がいがあっても、友達はできる
発達障害の娘には、友達ができないかもしれない。そんな私の心配は、杞憂に終わりました。娘の生活の中のいろいろなところに、出会いは待っていました。
それでも確かに、娘にとって、友達を作ること、友情を温めていくことは、そう簡単なことではないと思います。
けれどもそもそも、友達は、そんなたくさんに必要なのでしょうか?心を許せる友達数人と出会うだけで、人生は十分、豊かになるのではないでしょうか?
娘は、相手に文句を言うことはあっても、他人の悪口は言わない子どもです。
娘がこれからも、出会った友達1人1人を大切にしていけるように、工夫しながら進んでいってくれたらいいな、と思っています。
娘には、高学年になって、初めて特別支援学級で女の子の友達ができました。転校して編入してきたその友達については、また次の機会に振り返っていきたいと思います。
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