年少に上がってしばらくして、保育園の園長先生に正式に勧められた、娘の発達検査。
私は、娘のちょっとどんくさいところに、何か解決方法が見つかれば、という軽い気持ちで、娘と一緒に専門機関に出かけました。
そこで検査を受け、後日告げられた検査結果は、親としては受け入れがたいものでした。
でも今なら、その「普通の子とは違う」という検査結果が、
ということを、私はちゃんと知っています。
検査結果は、娘のこれからの発達の、道しるべになる、と知っています。
けれど結果を伝えられた時は、とても重くつらい気持ちで、半分は信じていませんでした。
今回は、ADHD(主に不注意型)と自閉症スペクトラムを抱える娘が、3歳にて発達検査を受けた当日の様子や、検査結果、検査結果から得られたことや親の気持ちなどを書いていきたいと思います。
発達検査を受けた時の様子
検査機関の様子
検査機関として紹介された療育園は、この地域の児童発達支援事業所に指定されている場所でした。
療育園では、心身の発達がゆっくりだったり偏りがあったりする子供たちに、毎日の生活や遊びを通して発達を促す支援が行われています。
娘と私がうかがった日も、何人かのこどもたちが、先生や親御さんと一緒に園庭で遊んでいました。大きく成長した木が何本もあって、木陰に心地よい風が吹いていくような園庭でした。
検査開始前の娘の様子
先生とお話をしてリラックス
2階の、10畳ほどの明るいじゅうたん敷きの部屋に通されました。しばらくして言語聴覚士の先生がみえ、にこやかにごあいさつをされました。
娘は、

お名前は?
と聞かれて、ぽかんとしていました。重ねて、

あなたの名前は何ですか?
と聞かれて、下の名前をようやく答えられました。ほかにも年齢や仲良しのお友達などを聞かれた娘は、保育園でテンプレートのようによく聞かれるこの手の質問には、はきはきと答えていました。
けれど、

誰と一緒に暮らしてる?
など、受けたこともない質問になると、困った顔で首を傾げたり、

猫とヤギが好き。
など、質問の意図とはちょっとずれたことを答えたりしていました。
よく考えてみたら、この段階からすでに検査は始まっていたのかもしれません。
検査時の、親への注意事項
次にいよいよ「発達検査」が開始です。
ここで、検査結果を正確なものにするため、親である私は、同じ部屋の中の3メートルほど離れた隅の椅子で、座って見ているように言われました。親が話しかけたり、表情を変えたりすることも控えるように、とのことでした。
娘と先生は、部屋の一角にあった幼児用の机と椅子に向かい合わせに座り、検査が始まりました。
発達検査の様子
娘は「新版K式」という検査を受けました。検査の内容は、メモを取っていたわけでもなかったのであまり細かいことは覚えていませんが、
・3歳児健診でも使用した赤い積み木が出されたり、いくつものコップが出てきたり、それらを使いながら出された課題をこなしていくようなもの
・先生の工作やお遊戯のような動きをまねしたり、形や人物画などのお絵描きを指示されるようなもの
・図形や人間の顔、動物や植物、日用品などの絵カードを見せられて、質問に答えるもの
などだったと思います。
受けているときの娘の様子
娘は、最初の15分ほどは遊び感覚で楽しそうでした。
しかし、あっという間に集中できなくなってしまい、椅子から落ちて地べたに座ったり、窓の外を眺めに行ったり…。1つ1つの検査をすすめるのに、いちいち時間がかかってしまう状態でした。
最後の方には、娘は完全につまらなくなってしまったようです。聞かれたことに、くたびれた様子で答えていました。
先生は、隠し持っていたおもちゃやお人形を出したり、きらきら光る「ご褒美シール」をちらつかせたり…。いろいろなもので何とか娘の気を引きながら、1時間以上もかけてようやく全検査が終わりました。
発達検査の結果
検査から1か月後、検査結果を聞きに、私は1人で療育園を訪れました。落ち着いて結果を聞けるように、娘が保育園に行っている時間帯で予約をしてもらっていました。
発達検査の時とは別の、こじんまりした会議室のようなところに通されてました。待っていると、検査をしてくださった言語療法士の先生がみえました。

さっそくなんですが…。こちらが検査結果になります。
と、先生は検査結果の数値が書かれている紙を出して、私の方に向けておきました。
実は、検査結果を聞いたあとに、とても動揺していたせいか、私はその後、その検査結果の紙をどこかでなくしてしまって、今は手元にありません…。本当のところを書くと、もらった記憶すらないんですが、さすがにもらわない、ってこともないですよね。
まったく親としては情けない限りですが、覚えている数字が以下のものになります。
認知・適応領域 平均より低い
言語・社会領域 平均
私はこの数字が何を意味しているのかさっぱり分かりませんでした。

この数字は、何を表しているんでしょうか?
と聞き返したと思います。
先生は、
- この数字が、今の娘の発達度合いを見るもの
- 同年齢のこどもの平均を100とした時の、発達の度合いであること
などを丁寧に説明してくださいました。
でも、カンの鈍い私は、よくわかりませんでした。

つまり、娘はどういう状態なんでしょうか?
この数値は、普通の子と比べてどのくらい低いんでしょうか?
と重ねてお聞きしました。先生は、

出来る事と出来ない事のばらつきがあります。
部分的な数字だけで見るならば、例えばこの、認知・適応領域の数字は、軽度知的障害と疑いが持たれるくらい、です。
とおっしゃいました。
知的障害…。
私が思ってもいなかった言葉でした。
検査の結果は、私にとっては、とてもショックなものでした。
でも、今にして思うのです。
もし、「検査結果が何を示しているか」をよく勉強してから結果を聞いていたら。
そうしたら、あの時もっと、分析的に説明を聞くこともできたのではないか。
感情的でなくもっと建設的に、わが子の現状と今後の必要な指導、展望について、先生に相談することもできたのではないか、と。
検査の結果を、どうとらえていくべきか
ここで、「発達検査を受けることの意味」について、よく考えてみたいと思います。
発達検査を受けることで、得られる情報
どこまで発達しているかがわかる
発達検査では、子供が今現時点で、どこの段階にいるか、ということが確かめられます。
発達検査に使う項目は、これまで教育、保育の現場・臨床で確かめられてきた、「子供の発達に必要な項目」が、領域別に集成されているのです。
子供が苦手にしていることの、領域別のタイプがわかる
発達検査を受けることで、その子がどこに困り感を持っているのか、ということのざっくりした把握ができます。
娘のように、できることとできないことの差が大きくなっている様子は、ADHDや自閉症スペクトラムと診断される子供たちにはよく見られるそうです。
しかし、発達に遅れや偏りがある、と一口に言ってしまっても、苦手にしていることと得意にしていることは、本当に人それぞれです。
- 全体的にゆっくりした発達指数で、分野別には差がない、というタイプ。
- 限定的な分野だけが突出して低い(または高い)というタイプ。
など、その子その子で、苦手にしていることも、生活で困っていることも、適した指導方法もみんな違います。
発達月数や知能指数から、どう指導したらよいかがわかる
検査結果を分析することで、その子にとって有効な方法があるか、どう指導していったらいいか、見つけるためのヒントにすることができます。
子どもは、「段階を踏む」ことで、無理なく発達することができるものだと思います。階段を3段ぬかしで駆け上がるように、ポンと力をつけることは、現実的には難しい話です。
そして、発達に必要なスモールステップを踏んでいくのに、「丁寧」だったり「得意に特化したような指導」だったりが必要な子がいるのです。
検査が、検査で終わってしまってはいけない
検査が検査で終わってしまうのではいけない。
そこからどのように指導して、伸ばしていくか、見つけていく。それが一番大事なのだ、と、娘の療育を通じて私は実感しています。
指導の仕方がうまくかみ合った時、娘の伸び方は本当に違いました。やり方が合わないで苦しむのは、子どもです。発達検査は、その方向性を探ることができる指標なのです。
数値は同じでも、困り感はそれぞれ
検査で得られる「数値」だけでは、「何に困っているか」は測れない。
それはのちに、娘の特別支援学級のクラスメイトの親御さんたちとお話をする中で、私が痛感したことです。
特別支援学級のクラスメイトで、娘と似たパターンの検査数値になっている子は、親御さんから聞いただけでも2人もいました。1人は多動だったり衝動的だったりして教室にいるのが難しい、ということでとても困っていました。もう1人は2歳の頃から異常な語彙力でお母さんに暴言を吐き、お母さんが精神的に参っている、と聞きました。
数値はほとんど一緒なのに、子どものタイプがあまりにも違うことに、私は驚きました。「何に困っているか」は、子どもによって違っているのです。
検査結果の数値によって、困り感の背景はざっくりと把握できます。でも、それはあくまでも「目安」なのです。
継続した観察で、その子が「何に困っているか」を読み取る
当時、娘に関して「具体的に、本人が何に困っているか」や「効果的な指導のやり方」は、保育園や療育の先生方、そして親による継続的な観察によって、少しずつ探っていきました。
検査を受けることで、その子の傾向が把握できます。把握したうえで観察していくと、得られる情報の質も量も全く違ってきます。
親や先生などの周りの指導者が、その子の様子を観察しながら、どのように指導していくかの試行錯誤を繰り返していくことが、大事になってくるのだと思います。
どの子もみんな、まだ見ぬ未来がある
発達検査の結果は、「今、現時点でのその子本人の状況」が示されています。
でもそれは、その子のその後の人生を決め付けるものでも、その子の限界を示すものでもない、と、娘を見守ってきた私は思います。
子供達にはそれぞれ、これから未来の時間が広がっています。その子が、これからどれだけ伸びていくのかは、誰にもわからないのです。
どの子もみんな、誰も知らない未来が待っているのです。
発達検査の結果は、その子の発達のために、どんな方法が有効なのか、どうしたら持っている力を最大限まで伸ばしていけるのか、そのためのヒントが書かれているものなのです。
周りの大人は、その結果にショックを受けるのではなく、その結果を「いかに有効に使うか考える」ことが大切だと、私は強く考えています。
結果を受けての、親の気持ち
しかし、あの日の私は、娘の発達検査の結果を伝える先生の「知的障害」という言葉の重さに、とてもショックを受け、しばらくは言葉を出せないでいました。
検査を受けるということの本当の意味も、検査結果が示す内容の意味も、何も知らなかったからです。
先生はそのあとも、「医師ではないので、今回の検査結果が何らかの障害の確定診断ではない」こと、「検査結果が示すことの意味」などを、丁寧に説明を続けてくださっていましたが、実はほとんど私の耳には入っていませんでした。
当時の私は「障害」というものについてよく知りませんでした。
「知的障害」といえば、
- 本人も周りも大変な苦労をする不幸なこと
- 本人との意思疎通も難しい
というような、誤ったステレオタイプなイメージしか持っていませんでした。そこにはどうしても、自分の分身のような存在の娘が、結びつきませんでした。
最初に感じたこと
検査の時に娘が飽きてしまっていたからだ、と思う

飽きちゃってたから、結果が悪かったんだ。
先生の前で言葉を失っていたとき、まず最初に考えたことが、これでした。
検査の後半、いや大半を、娘は飽きてしまってとにかく気が散り、モノでつられながらようやくのことで終わらせた検査でした。だから、正しい結果が出ていないんだ、ちょっと低めに出たのじゃないだろうか、と私は思っていました。
ここまで気が散ってしまい検査の継続が難しかったこと。「それ自体が発達の偏りを示す」のでは、という考えは、浮かんできませんでした。
小さく生まれたせいだ、と思う

だって、娘は小さく生まれたんだから。
次に考えていたことは、いつも免罪符に使っていた、これでした。
娘は2か月の早産で生まれた。だから、同じ月齢の子と比べても2か月遅れがあるのは仕方のないことなんだ。
こども病院の先生も、低出生体重児は最初は発達が遅くてほかの子に追いつけないこともあるって、退院するときに言ってたし。10歳、20歳になったら、そんな差は小さくなってわからないくらいになるんだ。
私はいつもそう考えてきました。
冷静に考えてみれば、たとえ2か月の遅れがあったとしても、発達指数がものすごく凸凹で、できることとできないことの差が異常に大きくなることの説明にはなりません。
発達の「遅れ」と同じくらいに、発達の「偏り」が、困り感を見極める重要な指標になっている。
それを、当時の私は知りませんでした。
困っているのは本人で、親じゃなかった
これだけの現実を目の前に出されて、それでも受け入れられなかった私。
「それは困っているのが本人で、親ではなかった」からだろう、と思うところがあります。
療育、その後の特別支援学級で知り合った親御さんたちのなかには、障害の可能性を指摘された時、「指摘してもらえて楽になった」「少しほっとした」という親御さんが、少なからずいました。私のような「受け入れられなかった」という拒絶的な反応とは真逆で、私はびっくりしました。
子供のタイプに左右されることかもしれませんが、そのような親御さんは検査よりもずっと前から子供の育て方に悩み、子どもの特性と向き合い、子供とともに苦しんでいました。
「誰のせいでもない、障害特性によるものだ」という診断で、ようやく少し解放されたように見えました。
対して、私の娘はおとなしくて反抗もしない、いわゆる「手がかからない子」でした。私は、娘に関して生活で困ることは、ほとんどありませんでした。
保育園生活で困っていたのは「娘」(と先生)で、私は本当の意味で、まだそこに寄り添っていなかったのではないか。
今にしてようやく、そう思うのです。当時の私は、本当に、分かっていない親でした。
いろいろできないことは認めるけれど、障害があるとは思えない
思わず泣いてしまった
先生の説明が一通り終わった(といってもほとんど頭に入ってきませんでしたが)所で、涙が出てしまいました。

先生、娘は、どうなるんでしょうか。
一人で生きてはいけないんでしょうか。
そんなことを言ったと思います。親なのだから泣いてはいけない、と思っていたのに、涙がなかなか止まりませんでした。
先生は、あくまでも明るく、

今この早い段階で、本人が困っていることが判明したのは良かったこと。
これからいろいろな発達の手助けができるということです。
というようなお返事をしてくださった気がします。
療育を紹介される
そして、今後の「療育」についての話が始まりました。「療育」という言葉も、私にとっては初めて聞いた言葉でした。
介護で手いっぱいになって娘を保育園に預けた、という私の事情も、保育園から先生にきちんと伝わっていました。
それで、毎日の母子通園のような療育は難しい、ということで、今まで通り保育園に通いながら、月に2回療育園にかよっての「グループ療育」と、総合病院の発達外来での「作業療法(OT)」をすすめられました。
私は、

こういう検査を受けるほど、娘が保育園でうまくいっていない部分があるんだ…。
ということはよくよく呑み込めたので、先生の提案をありがたく受け、翌月からのグループ療育と発達外来の受診が決まりました。
娘の「障害」を、納得したわけではない
ただ、私にとっては、
ということと、
ということは、全然違うことでした。
ここにきても私は、娘の生活の困難さが、「障害」によるものなのかも、とは、現実感のある話としては呑み込めませんでした。
同居のおばあちゃんにもあんなにやさしくいたわってあげられる、私の大切な娘。
そんな娘に対する「障害」という言葉の重さに、ただただとてもショックで打ちのめされたような気分で、私は療育園を後にしました。
知能検査の結果を聞いたあの日が、娘の現実と向き合うスタートだった
障害、という言葉にショックを受けた、忘れられないあの日ですが、あの日からようやく、娘の困り感に寄り添うということの本当の意味を、私は考え始めたような気がします。
ただその時は、告げられた現実を咀嚼することでやっと、という心境でした。
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