ADHD(主に不注意型)と自閉症スペクトラムをあわせもつ娘の、保育園に入るころにみられた特徴と、そのころの家庭環境の話です。
2歳を過ぎてしばらくしたころ、夫の実家で介護の問題が起きました。同居ではなかったのですが、長男の嫁である私は介護の主な担い手となりました。
しかしいわゆるダブルケアのつらさは想像以上。やむなく急遽、娘を保育園の未満児クラスに入園させることになりました。
入園して、初めての集団生活をスタートした娘。
ところが、他のこどもが当たり前のようにこなしていく作業を、なかなか上手にこなすことができません。ついていけずに取り残される、という場面が、いくつも出てくるようになりました。
集団の中に入って初めて、娘の生活の困難な部分が、急にあぶりだされてきたようでした。
今回は、保育園入園の頃の娘の様子や、集団生活をスタートさせて初めて、娘の難しい部分に気付き始めた経緯などを書いていきたいと思います。
入園前、2歳になったころの娘の生活環境
娘が2歳になってすぐのころ、夫の祖母が転倒により要介護状態となりました。当時子育てのみで、仕事をしていなかった私が、とりあえずしばらくの間の介護者になることを引き受けました。
介護の開始当時の様子
多忙で、DVDを見せっぱなしの日々
仕事もしていなかったのだから何とかなるだろう、と安直な考えで介護を引き受けてしまったのですが、すぐに内心後悔することになりました。
小さな子供を抱えながら、たった1人で介護を引き受けるということは、想像以上に大きな負担でした。
頼みの夫も、仕事で多忙で深夜まで帰れません。それに、私はこれまで、介護の職業を経験したこともなく、身内の介護を経験したこともありませんでした。
慣れない作業と、代わりもおらずに24時間休みなく続く「呼ばれる」緊張感。私たち家族の生活は、全く回らなくなってしまいました。
娘は、
- 遊び相手をしてあげられない
- 公園に連れて行ってあげられない
- 遊ぶ時間の大半を、DVDを見せて過ごさせた
という状態になってしまいました。
娘は、アンパンマンなどの気に入っているDVDは、何時間見せても飽きずに見ていることができました。1人遊びが得意で、ごねることもありませんでした。
私を困らせることもなく、ずっとおとなしく1人で過ごす娘。それについ甘えて、私は娘を放置したまま、ようやく介護をこなす状態でした。
成長の要になるような大事な時期に、ずっとテレビを見せるばかりでほとんどかかわってやれなかったことを、私は今でも後悔しています。
娘放置も介護もつらく、市役所へ相談に
このような状態が、3か月以上も続きました。私には荷が重すぎる日々でした。その当時の、娘が遊んでいる様子は、正直あまり思い出せません。
娘に対する可哀そうさと罪悪感と、常時縛られている介護の重圧。私はかなり、精神的に追い詰められていました。
これではいけない、介護の行政サービスに頼らないと回らない。私は娘を連れて、役場の福祉課に相談に行きました。
そこで初めて知ったのは、「介護を受ける本人の住民票がない状態では、行政サービスがほとんど受けられない」ということでした。
我が家は、他県に住んでいた義理の祖母を引き取った状態で、彼女の住民票がなかったのです。そんなわけで、即座に福祉の手を借りることは、あきらめざるを得ませんでした。
保育園入園の提案
その時、担当の職員の方に、

娘さんを、保育園の未満児クラスに入園させてはどうでしょうか?
と提案されました。当時、田舎であるこの地域では、特別な事情があれば、希望者が入園できる程度の余裕があったのです。
提案を受けた当初は、

介護のために、娘を犠牲にするなんて…
と、なんとも受け入れがたい気持ちでした。
今考えると、「保育園」を「犠牲」だなんて、傲慢としかいえない考え方です。ですが、娘に強い罪悪感を抱いていた私には、それが偽らざる本音として湧き上がってくることを、止めることができませんでした。
涙目になっている私に、担当の方が、

突然の入園なんてかわいそうと思うかもしれないけれど…。
でも、家でずっとDVDを見せているばかりの毎日よりも、お友達も増えて、たくさん遊べます。
娘さんにとってはきっと楽しいと思いますよ。
とやさしく言ってくださいました。
確かにそれはその通りだ…と、私はその夜夫と話し合い、入園を決めました。
この未満児クラス入園のおかげで、のちに、親が全く気が付いていなかった娘の発達の偏りを、保育園生活の中で発見していただくことになりました。提案してくださった窓口の保健師さんと保育園には、感謝ばかりです。
娘が、介護が必要な祖母を「受け入れる」まで
しばらくは、祖母が居ないかのようにふるまった
介護を引き受けてすぐのころは、前述の通り、娘は私の手をわずらすこともなく、1人の時は黙々とテレビを見続けていました。
ただ、義理の祖母を寝かせていた部屋には、娘は絶対に近づきませんでした。そして娘は、曾祖母から話しかけられても、

……。
絶対に返事をしませんでした。まるでそこに祖母が居ないかのように、祖母の存在を無視していました。無理やりなつかせようと近づけても、目を合わせず、ぷいと離れていく状態でした。
それまで誰に対しても笑いかけ、天真爛漫に抱きついていくようだった娘。そんな娘の性格からは、考えられないような冷たい態度でした。
泣くこともなく、介護の邪魔をすることもない。でも祖母には全くなつかない、というより祖母が居ないかのようにふるまう、2歳になったばかりの娘。
その様子を見て、

言葉には出さないけど、これヤキモチ焼いてるのかな…。
と、娘がいじらしくてかわいそうで、私は1人になるとよく涙していました。
同居のあいさつも、無関心に見えた
今後のことを、夫婦と義理の祖母で話し合った結果、祖母の住民票をこちらに移し、正式に同居することに決まりました。義理の祖母は昔ながらの人で、同居が決まった時、
「いろいろ迷惑かけてしまうことになるけれども、故郷を離れるのもつらいけども、同居させてもらえて心からありがたく思ってるのよ。これからはよろしくお願いしますね」
と、私は折り目正しく頭を下げられました。
この場面の時、隣の部屋にいた娘は、いつもと変わらず1人で粛々とおもちゃで遊んでいました。こちらの様子を眺めている風でもありませんでした。
あいさつ後、突然優しくなった娘
ところが、この義理の祖母のあいさつの後から、娘の祖母に対する態度が、突如激変しました。

おばあちゃん、お茶どうぞ。

お菓子もどうぞ。

痛くない?
と、常にいたわる様子を見せるようになったのです。それはまるで、「介護をしているときのママの、小さな小さな分身」のようでした。
あんなに無関心な様子でふるまっていたのに、娘は、それまでの私の介護の様子も、義理の祖母が同居の覚悟を決めたことも、きちんと理解していたのです。
まだ2歳の、なのにまるで優しいヘルパーさんのような娘の姿に、当時の疲弊していた私がどれだけ慰められたことか。くじけそうになっても、この娘に恥じない母でいたい…という気持ちで、介護生活を続けることができました。
私はそれまで、娘のことを、

まだ小さくて、こちらの言うことなど理解できないから、会話もないんだ。
と思っていました。しかしここにきて、

あれ?
もしかして本当は、娘は大人の言葉を理解できているのかな?
なんでいつもは会話が通じないんだろうか…。
と私はかすかに感じ始めました。
保育園未満児クラスに入園したころの娘の様子
1週間の慣らし保育を経て、娘は保育園の未満児クラスに無事入園しました。
親である私の方は、なかなか子離れも出来ませんでした。朝に預けたあと、家に戻って介護しながら、つい寂しさに涙するような状態を、1か月近くも引きずりました。
ですが娘の方は、初日こそ泣いていたものの、フルタイムの保育が始まって3日目には、楽しそうにいそいそと登園するようになりました。
泥んこになって遊んだり、公園に散歩に連れて行ってもらったり。のびのびすごしている様子を連絡帳で見て、私はようやく、「保育園に入れてもらえてよかった、あのとき提案してもらえてよかった」と気持ちが楽になりました。
それまで、箱入りどころではないくらいに過保護に育ててきてしまったせいか、娘は感染症に弱く、頻繁に胃腸炎やらひどい風邪やらをもらってくるようになってしまいました。
ですが、運動会などの行事も楽しそうに参加していたし、私は娘に関しての心配事から解放された気分で、介護生活を過ごしていました。
「お母さんが、何でもやってあげ過ぎているんじゃないですか?」
違和感を指摘される
そんな、入園して2か月がたったある日。私は帰りがけに、娘の担任の先生に呼び止められました。

娘ちゃん、おうちでは自分でお着換えや歯磨きをしますか?
そう聞かれて、私は、

まだできないようなので、やってやっています。
と答えました。すると先生は、首をかしげました。

うーん、娘ちゃん、できないというか…。
やろうという意欲が全く見られないんですよね~。
そろそろそういう気持ちが芽生えてきてもいいころなんだけど…。
もしかしたら、お母さんが、何でもやってあげ過ぎているんじゃないですかね?

2歳の子って、そんなに意欲あるものですか?

2歳というより、1歳とか、もう少し小さくてもありますよ。
できる出来ないは別にして、やってみようという意欲はあるものですけどね~。

…。
娘は、そんなに普通の子と違うのだろうか。カルチャーショックを受けたような気分でした。
娘に「しつけ」をしてみる
ただ、義理の祖母の件で、

実は娘は、本当は、周囲の会話や状況を、それなりにわかっているのかもしれない…。
と思い始めていた私は、

もっときちんとしつけたり教えたりしたら、本当は着替えも歯磨きもちゃんとできるのかもしれない!
と思いました。

服を着替えることも歯磨きをすることも、しっかり自分でできるようにしてやろう!
そう思って、その日から私は、なんでも練習させるようになりました。
ところが、いくら「おててを通して」「お洋服を引っ張って」と教えてみても、娘はぽかんとして私の顔を見ているばかりで、なかなかできるようになりません。「歯ブラシをこう持って、お口に入れて」と、隣で実演して見せても、まねすることもなく歯ブラシを手に持ったままだったり。

これまで、甘やかしすぎたのかもしれない。
夫にもそういわれ、私自身もそう感じていました。それで、いきおい、厳しく教えるようになってしまいました。
しかし厳しく教えても、娘は教えたとおりにできずに泣いてしまいます。時間もないので、結局私がやってやってしまう、という繰り返しでした。

ずいぶん不器用な子なのかもしれない。
でも、小さく生まれたんだから…。
と、私は、ゆっくり過ぎる成長に免罪符をつけてしまっていました。
このような、ただただ厳しく教える接し方は、発達障害のある子どもには、つらい思いをさせるばかりで得るものがない。そう、私が知ったのは、もっとずっと後の、ペアレントトレーニングを受けた時でした。
まとめ
発達に偏りがあった娘。
集団生活に入ってみて初めて、うまくいかない部分があることが見え始めました。けれど親の方は、まだあまり危機感を感じてはいませんでした。
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