「自分で何もしない」と未満児クラスの担任の先生から違和感を指摘されつつ、年少クラスに上がった娘。
未満児クラスの時に比べて、身辺の自立や集団でのふるまいなどで求められるレベルもぐっと上がり、難しい場面がどんどん増えてきました。ここで、保育園から発達検査をすすめられることになりました。
今回は、ADHD(主に不注意型)と自閉症スペクトラムを抱える娘が、年少の時に発達検査を受けることになったころの様子や、発達検査を受けることになるまでの経緯を書いていきたいと思います。
年少クラスに進級したころの娘の様子
娘は、未満児クラスの時点で、

お着替えにも歯磨きにも意欲がないです。
と指摘されていました。ただ、それはまだあくまでも、

お母さんが過保護すぎるのでは?
という指摘にすぎませんでした。
しかし、年少クラスにあがると、保育園で過ごすスケジュールは一変しました。
- お昼寝の布団を、自分で敷くこと
- お昼寝のパジャマに、自分で着替えること
- トイレに行きたくなったら、自分で行くこと
などなど。年少から入園してきたほかのお友達は、どんどんこなしていきます。けれども娘にとっては、すべてが難しそうでした。
いろいろな身辺自立の作業が、ほかの子の比べて、いちいち時間ばかりかかるのです。ジャングルジムや縄跳びなど、遊びの中でもついていけないことが増えてきました。
そのころの娘の様子を思い出して書いてみました。
気が散る
とにかく、気が散る。
まずは、すべての生活の困難さが、これに尽きました。
本当に普通ではないレベルで気が散る子でした。おもちゃで遊んでいても、給食を食べていても、ものの10秒もすると「心ここにあらず」という状態になってしまいます。
お友達に話しかけられても、先生がお話をしていても、途中から何も聞いていない様子がよく見られました。
先生の指示したことができない
娘は、何をするにも、
- とにかく気が散って時間がかかる
- 不器用すぎてできない
のどちらかでした。
「登園したらシールを貼って、カバンをロッカーに入れる」「園庭に出るときは、靴下を履いてから靴を履く」「園服のボタンを留める」などなど、具体例を挙げていったらきりがないようなレベルです。
保育園で日々過ごすためのルーティンの作業1つ1つが、とても難しい様子でした。
そもそも指示が通らない

皆さーん、○○しましょう!
というような一斉指示を出されると、娘は全然聞こえていない様子でした。
何もかもできなかったわけではないのですが、大部分は聞いていない様子でした。
先生の指示が終わりみんなが一斉に動き出すと、

あ、ついていかなくちゃ…
という様子で、ワンテンポ遅れてついていく、という感じでした。
イスに座っていられない
娘は、30秒と椅子に座っていられませんでした。
これは「立ち歩いてどこかに行ってしまう」ということではありません。そうでなくて、「椅子から落ちてしまう」という意味です。
我慢させても、1分も座っていると、椅子からずるずる落ちて、地べたに座り込んでしまうのです。
同じ調子で、クラスのみんなで体育座りをして先生のお話を聞いていると、その体勢を保つことができません。そのまま、グダグダと床に寝ていました。その体勢も長く続くわけでもなく、同じ姿勢でじっとしていることが難しいようでした。
参観日など、よその親御さんから見たら、ずいぶん態度の悪い子に見えていたと思います。
体幹の弱さ
この体勢の維持の難しさは、体幹の弱さにあったのではないか。
のちに、療育中に作業療法士の先生にそう言われました。しゃがむ、とかジャングルジムの下をくぐる、などの動作もうまくいかない面がありました。
おむつが取れない
娘は、おむつが外せないまま年少クラスに上がってしまいました。
前年の未満児クラスでも、ノウハウを持った先生方が積極的にトイレトレーニングをしてくださっていましたが、うまくいきませんでした。
年少クラスに上がると、未満児クラスでは日に何度か取り換えてくださっていたおむつが、まったく取り換えてもらえなくなってしまいました。ほかにもトイレに間に合わない子は何人もいましたが、まったく外れていないのは娘だけでした。
排泄間隔が30分しか開かない
トレーニングパンツをはかせ、担任の先生もこまめにトイレに行くよう声がけをしてくださることになったのですが、排泄間隔は30分、持っても1時間で、なかなかそれ以上になりませんでした。間に合わないことはしょっちゅうでした。
しかも娘は、間に合わなかった時の感覚も鈍い子でした。出てしまっても先生に告げることもなく、平気で遊んでいる状態でした。
反抗期が全くない
娘には反抗期が、まったくありませんでした。

行ってらっしゃい。
と言えば、

行ってきまーす!
と元気に手を振り、

そろそろ帰ろうね。
といえば、

うん、先生さようなら!
と笑顔で手を振り。
とにかく素直でわがままを言うこともありませんでした。買い物に行っても「これ買ってーー」などと泣くこともありませんでした。
周りのクラスの子たちは、どの子も反抗期真っ最中でした。登園した時、お帰りの時、園庭で親に叱られたり泣いて駄々をこねたりしている子を見るのは日常茶飯事でした。
ですが、娘はそんなことは一度もありませんでした。これに関しては、特に男の子たちの親御さんたちからはいつもうらやましがられていました。
そもそもイヤイヤ期がなかった
娘には、イヤイヤ期もありませんでした。
市から配布された育児冊子を見ても、母子手帳を見ても「2歳になった子供はイヤイヤ期に突入する」と書かれています。でも娘は、イヤイヤ期も皆無でした。
なので、できないことをこっちがやってあげてさえいれば、それはそれは育てやすい、大人から見て「可愛い」子供でした。
いつになったらイヤイヤ期が来るのだろう…と思っているうちに3歳になった娘。それでも依然として反抗期の兆しも見えない娘に、私も少しずつ違和感を覚えるようになりました。
でも、3歳児健診は問題なくクリア
娘は、初対面の人にも物おじせずに、

こんにちは!
とあいさつができました。不器用な面や気が散る面が出ない場所では、とても感じのいい子でした。
3歳児健診で見られる発達の観察は、絵をかきながら「これは何かな?」「この子は悲しい?」「これ何色?」などのおしゃべりをしていくような内容でした。そして、これは娘が大好きで得意なことでした。
娘は笑顔ではきはき質問に答え、あっという間にクリアしてしまいました。
3歳にて、発達検査をすすめられた時の状況
娘ののんびりさ加減にかすかな違和感を感じてはいる。
そうはいっても、3歳児健診も問題なく通過していたし、私は特に疑問も持たずに保育園に通わせていました。
そんなある日、年少担任の先生に声をかけられました。お子さんのことで大事なお話があるので、園長先生と面談をしてください、ということでした。
「私たちが困ってるんじゃない、娘さんが困ってるんですよ」
園長先生から面談だなんて、いったいどうしたんだろう、と少し緊張しながら面談に伺うと、

娘さんだけど、ちょっとのんびりなところが多くて、担任も私も少し気になっています。
専門のところに、一度相談に行かれたらどうかと思うんだけど、どうでしょうか?
と言われました。
今ならわかります。園長先生は、
「娘の発達に偏りや遅れが心配されるから、早急に発達検査を受けてほしい」
と、伝えたかったのだと。
ですが私は、あまりピンと来ませんでした。園長先生の、慎重に選んだ言葉で言われたその話に、

専門のところ、と言われても、何の話だろう?
保育園が一番専門なんじゃないの?どこ?
という感じでした。
ただ、いつもお世話になっている園の園長先生から直々に言われているんだから、ここは逆らわずに、言われた場所に行った方がいいな、と思いました。

…わかりました。
そう了承した後、

そうか、娘がずいぶんのんびりで手がかかるから、専門家のところに相談に行くように言われているんだ…
と、じわじわと感じました。私はあわてて、先生に頭を下げました。

いつもいつも、のんびりした娘で、先生方を困らせてますよね…。
本当に、申し訳ありません。
するとそれまで穏やかな顔だった園長先生が、表情を改めて私に向き直りました。

お母さん、それは違います。
担任が困ってるわけでもない、私たち保育士が困っているでもない。
そうじゃなくて、娘さんが、困ってるんですよ。
娘さんが困らずに保育園で過ごすためにどうしたらいいか知るために、相談に行ってほしいんです。
娘が、困っている…
園長先生の真剣な表情に、私は心に暗くて重い石を投げられたような気がしました。親として、思いもしなかった視点でした。
とりあえず相談することを了承し、園長先生はその場で相談機関に予約を入れてくださいました。
親の気持ち

娘ののんびりさは、親が考えていたよりも少々重症なものなのかもしれない…。
先生からのお話の後は、親としてはそう考えざるを得ませんでした。
でも、保育園の対応は、大げさなんじゃないか、と思ってもいました。
年少に上がってどんどんおしゃべりが上手になった娘。聞かれた質問には、少々的外れでもはきはき答える子だし、同居のおばあちゃんにも優しくできるし、それに小さく生まれたし…。
私は、いつもの「小さく生まれたから」という免罪符を取り出しながら、そこまで重大な問題だとは考えていませんでした。

小さく生まれたからちょっと不器用で、今はまだうまくできないだけ。
そのうちほかの子と同じようにできるようになるはず。
そう、疑うこともなく考えていました。
まとめ
こうやって書き連ねてみると、これはもう、発達相談に行くようにと声をかけられるのが妥当な年少児だったのだな、とつくづく思います。年少に上がり集団生活が進むにつれて、娘はほかのこどもたちとの違いがどんどん大きくなってきていました。
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