特別支援学級が守ってくれた自己肯定感と未熟だった親の思い~入学後、やはり通常学級は難しかった娘の歩み

特別支援学級が自己肯定感を守ってくれていきいきした娘 娘の発達
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発達障害の一種である、ADHD不注意型自閉スペクトラム症がある私の娘。

娘は現在、小学校高学年。小学校の特別支援学級に在籍しています。特別支援学級でも通常学級でもとても良い環境に恵まれ、娘はいきいきと、自分らしく過ごしています。

私は、

みどり
みどり

私と娘のあゆみは、これでよかったんだ。

と、最近ようやく、心から思えるまでになりました。ですが、入学前、特別支援学級の在籍を決めたとき…。私は、

みどり
みどり

娘は特別支援学級と通常学級、どちらに在籍させるべきなのか…

と、本当に悩みました。そして、新しい生活への不安や、「娘が特別支援学級に在籍すること」への自らの内なる偏見で、苦しい気持ちでした。

むかえた、小学校入学。

入学後すぐ、娘は通常学級になじめなくなってしまいました。私は、残念な気持ち・悔しさ・悲観的な思いでいっぱいになっていました。親子ともども、本当に未熟な1年生でした。

そんな娘を、特別支援学級は、「自分らしさ」を大切にしながら守ってくれました

今回は、そんな未熟な私たち親子を支え、導いてくれた特別支援学級でのあゆみを記したいと思います。

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通常学級(普通学級)になじめず、特別支援学級へ

入学式の前日、私と娘は小学校に呼ばれました。

入学式会場が初めてだから、パニックにならないように。

との配慮でした。準備と飾り付けが終わった体育館の中を、見せていただけたのです。娘だけでなく、特別支援学級に在籍予定の子どもたちが、何人か呼ばれていました。

大きな生け花、紅白の垂れ幕、入り口からのびる薄緑色のじゅうたん。とにかく注意力散漫で気がちる娘は、キョロキョロしながら笑顔でじゅうたんの上をスキップしていました。

そして、入学式当日。前日の見学のおかげか、娘は飛んだりはねたりせずに、落ち着いて入場することができました。

その様子を見て、私は、

みどり
みどり

こんなにちゃんとしていられるんだから、やっぱり普通クラスで大丈夫そう…。

と思いました。そして、娘が「普通の子としてすごす」ことを、大いに期待していました。

入学後、まずは通常学級で過ごしてみる

入学してから、まずはためしに、娘はすべての時間を通常学級で過ごすことになりました。

通常学級の環境は?

いわゆる「普通クラス」の通常学級。

クラスメイトは全部で31名、男女比では、女子が少し多めでした。娘が保育園で仲の良かったおともだちも、一緒のクラスでした。

担任の先生は、学年主任も担当するベテランの女の先生でした。前年度は4年生を担当していて、指導力や宿題の量の評判も良く、クラスの保護者からの厚い信頼を得ていた先生でした。

入学してすぐの1年生の授業内容は、自己紹介や学校探検など。勉強はまだ始まっていませんでした。勉強だけでなく、給食も掃除も始まっていませんでした。

わずか1週間で、特別支援学級1本に

入学して、1週間たった金曜日。私は娘を、毎日迎えに行っていました。

次々と昇降口を飛び出してくる子どもたち。ようやく娘を見つけたとき、私は通常学級の担任の先生から呼び止められました。

お母さん、娘さんのことなんですが…。

ちょっと大きなクラスでは難しそうです。

なので、もう来週から、特別支援学級の方に移ってもらおうかと思ってるんですよ。

私は、言葉を失いました。

みどり
みどり

…もう?

こんなにあっという間に、普通クラスから放り出されちゃうの?

うちの娘は、そんなに、ついていくのが大変なの?

先生、そんなに簡単に、娘をあきらめちゃうんですか?

という気持ちでした。

通常学級の担任の先生は、男勝りでサバサバした先生でした。

そして多分、「特別支援学級に移る」ということを、私がそこまで重い気持ちで受け止めるとは、思っていらっしゃらなかったのだと思います。娘は書類上は、特別支援学級にもう在籍していたのですから。

クラスメイトとトラブル続出

通常学級の担任の先生がおっしゃるには、

クラスメイトとうまく意思疎通ができず、毎日何かしらトラブルになっています。

ということでした。

私は、信じられませんでした。入学してから毎日、

みどり
みどり

今日は学校はどうだったの?

と聞いても、娘は、

娘

うん、楽しかった。

としか答えていなかったからです。トラブルがあったなどと、1度も言われたことはありませんでした。

実はそれは、娘の短期記憶の弱さゆえの「状況報告ができないという状態だったのです。ですが当時、まだ娘の発達に関する知識も足りなかった私は、そこまで考えが及びませんでした。

特別支援学級にうつるも、ついていくのがやっとの毎日

こうして娘は、早くも翌週から、特別支援学級1本で通うようになりました。しかし、特別支援学級でも、ついていくのが大変そうな様子が続きました。

入学して2週目から通い始めた、特別支援学級の環境は?

娘が入った特別支援学級は、1年生の子ども6人で構成されていました。入学後、という落ち着かない時期もあっての構成だと思います。

娘以外は、全員男の子でした。高学年の在籍児童は、別の先生を配置して隣の教室で学習している、ということでした。

子どもたちを指導するのは、特別支援学級の担任の先生と、補助の先生が1人の、合わせて2人でした。

1年生の子どもたちだけだったので、本格的な勉強はまだ当分始まらない、ということで、授業は一斉授業の形式でした。学習進度は、情緒障害クラスということで、基本的に通常クラスの進度に合わせて進められていました。

特別支援学級に通い始めた、娘の様子

特別支援学級に通い始めた娘に、

みどり
みどり

きょうの学校はどうだった?

と聞いても、

娘

うん、楽しかった。

と、通常学級に通っていたころと全く同じ回答…。

ですが、特別支援学級に通い始めて1か月ほどの、5月の連休明けに、

娘

先生の名前は、H先生っていうんだよ。

と、娘はニコニコしながら私に言いました。どうやら娘は、支援学級の担任の先生の名前を覚えるのに1か月かかったようなのです。

通常学級でトラブルがあったことも、言わなかったのではなく、覚えていなかったのかもしれない…。私もようやく、娘が思っていた以上に「覚えていられない」ということに気が付きました。

1人で下校し始めるも、何度も行方不明に

1か月たち、2か月たち、ようやく学校生活にも慣れてきた娘。

このあたりから、娘は下校時も1人で帰る練習を始めました。私が介護をしながら娘の登下校に付き添うのが、体力的につらくなってしまったからです。

ところが、これがまた曲者でした。下校時間から1時間たっても、娘が帰ってこないのです。そのたび、特別支援学級の担任の先生に、

みどり
みどり

ちゃんと学校を出ましたでしょうか…?

と電話をかけ、先生と手分けして通学路を探し回りました。

1年生の特別支援学級の担任の先生は、いつも本当に親身になって娘を指導してくださる先生でした。忘れてしまう娘の代わりに、毎日、連絡帳にその日の出来事を書いてくださっていました。

みどり
みどり

良い先生に当たって本当に良かった…。

と、私は今でも思っています。

2学期になり、朝会と帰りの会だけ通常学級に参加し始める

運動会の練習が始まる、というタイミングで、通常学級との交流がはじめられました。

まずは、「朝会と帰りの会」だけ、毎日参加することになりました。

  • 少しずつ進めた方がいい
  • 毎日同じルーティンになる方がいい

というのが、先生方の方針でした。

連絡帳が書けない

朝会は「朝のあいさつと歌、先生のお話」くらいで問題はなし。ですが、帰りの会には「連絡帳を書く」という、娘にとっての難題が待っていました。

娘は、黒板に書かれた文字をうつすことが、まったくできなかったのです。書き込み式ドリルでなら、読むことも書くこともできるのに。ここにもやはり、短期記憶の弱さがあると思います。黒板を見ても、次に連絡帳を見るまでに、忘れてしまうのです。

仕方なく、連絡帳は特別支援学級でゆっくり記入。終わった状態で通常学級の帰りの会に参加する、という形をとりました。

特別支援学級は、宿題も少ない

1年生の宿題、というのは、集中できない娘には本当につらいものでした。

「『あいうえお』を3回書く」とか「算数ドリルの式をノートに写して、答えを書く」とか…。短期記憶の弱い娘にとっては拷問のようでした。

最初は通常学級の子どもたちと同じ宿題を出してもらっていました。ですが、終わらせるのに3時間かかる、ということがざらでした。

これではあまりにも負担が大きい、ということで、娘には個別な宿題が出されました。ただ、これには、娘は1年生なりに地味にプライドが傷ついた様子でした。

娘

なんで私だけ、みんなより宿題少ないのかなあ…。

と、くもった顔で言っていました。仕方ない部分ではありましたが、胸が痛みました。

下校時刻でないのに、下校してしまうトラブル発生

特別支援学級に少し慣れてきたところで、ようやく始まった通常学級との交流。しかし交流を始めたことで、思いもかけなかったトラブルが起こってしまいました。

下校時刻でもなんでもない時間に、娘が一人で、勝手に下校してしまったのです。

娘が突然、1人で帰ってきた

その日も私は、義理の祖母の介護で家にいました。

お昼過ぎに、突然ガチャリと玄関が開く音がしました。誰だろう?と行ってみると、あろうことか、ランドセルをしょった娘が、ポカンとそこに立っていたのです。

娘が言うには、

娘

帰りの会の時間だから、△△組(通常学級)に行ったの。

でも、誰もいなかった。

帰りの会、終わっちゃったみたいだから、帰ってきた。

という状況だったらしいのですが、それを聞いても、私には何が起こったのかさっぱりわかりませんでした。

通常学級の先生も特別支援学級の先生も、気が付いていなかった

娘の話を聞いているとき、特別支援学級の担任の先生から、慌てた口調で電話がきました。

娘さん、そちらに帰ってしまっていないでしょうか…?

とりあえず、いましがた下校したことを伝え、私は先生に説明を求めました。

学校側の説明

先生の説明によると、

今日はスムーズに連絡帳が書けたので、少し早かったけれど通常学級に送り出した

娘は1人で通常学級に向かった

しかし通常学級は誰もいなかった

娘下校

通常学級では、前の時間の授業が別教室で、しかも5分ほど遅れて子どもたちが教室に戻った

娘は帰りの会に遅れて参加することがよくあるので、まだ特支学級にいると思われていた

1年生下校の後、通常学級の担任と特支学級の担任が顔を合わせる

ここで初めて、娘が行方不明になっていたと判明

という流れだったそうです。

これには夫が、怒り心頭

もちろん、先生方は平謝りでした。ですが、この事態に、娘の父親である夫が、ものすごく腹を立てました。

片道2キロの山道、友達も歩いていない時間。こんな危なっかしい子が1人で歩いて帰るなんて…。安全面で、何かあったらどうするつもりだったのか。

そもそも、行方不明になっていることにも気が付かれないなんて、管理面でもひどすぎる。

命にかかわるから、もう、通常学級に交流するのはやめてもらいたい

特別支援学級1本で、ずっとやっていってくれ!

夫の怒りも、もっともでした。大事な娘に、こんなトラブルが簡単に…と思うと、私も背筋が凍る思いでした。

娘は自分のしたことに、オロオロして泣いていた

娘は、自分が下校したことが親たちを怒らせてしまったことに、理由もわからないままオロオロし、しょんぼりしていました。

みどり
みどり

これからは、○○組(特別支援学級)だけになるかもしれない…。

と娘に言うと、

娘

これからも両方行きたい、Rちゃんもいるから両方行きたい。

と、娘は泣いていました。

私自身は、娘の安全面での心配と同時に、いつも冷静沈着な夫の大きな怒りに触れ、とてもショックを受けていました。

通常学級に交流させたい、と思っていた自分が、間違っていたのかもしれない。

自責の念で、その夜はなかなか寝付けませんでした。

特支だけに戻すか、これからも通常学級と交流するか

次の日の放課後、特別支援学級の担任の先生に、個別懇談の時間をとっていただきました。そして、

  • 親として、安全面で本当に心配したこと
  • 夫がとても怒っていること
  • 特別支援学級1本でずっとやっていくことを検討していること
  • 娘本人は、これからも交流したがっていること
  • 私自身は、通常学級との交流が娘のためになるとずっと思ってきたけれど、今回のことでその思いは揺らいでいること

といったことを伝えました。

途中、私は泣いてしまい、待っていた娘は補助の先生が別室に連れて行ってくれました。

先生は、本当に申し訳なかったと改めて謝罪された後、

お父さんお母さんが許してくださるなら、これからも、通常学級との交流は続けさせてください。

いろんなタイプの子がいますが、娘さんは、両方のクラスにいることで、より伸びると思うし、娘さん本人も、両方のクラスをとても好きなんです。

安全面では、こういったことが起こらないように教員同士でルールを作って対応します。

とおっしゃいました。

私は本当に動揺していて、特別支援学級だけにするか通常学級との交流をもつか、その場では決められませんでした。

けれど、やはり通常学級との交流は続けてほしい、という気持ちは消せずにいました。信頼している特別支援学級の担任の先生の言葉も、強く響いていました。

私はその気持ちを、夫に話しました。「ママがそんなに言うのなら…」と、夫はしぶしぶといった面持ちで了承し、娘は通常学級との交流を続けることになりました。

夫に折れてもらって通常学級との交流を続けたことで、

みどり
みどり

これからもし娘に何かあったら、すべて私の責任になるんだ…。

という重圧で、私はしばらくの間、苦しむことになりました。

初めて「我が子の障害」を認識した、親としての気持ち

娘の小学校生活のスタートは、「よかった」とは、到底言えないものでした。親も子も、未熟でした。先生方も、娘を観察しながら、支援を試行錯誤していた日々でした。

そんな中で、私の「親としての気持ち」は、少しずつ変化していきました。そして娘には、特別支援学級での丁寧な指導が、少しずつ成果として現れるようになってきました。

初めての、障害の受容

娘にとって、小学校生活は、保育園生活とは別次元で難しいものでした。

その日の時間割を、きちんと自分で分かっていないと、動けない。教科書もノートもえんぴつも、自分で管理しないと、なくなっちゃう。先生の指示を聞いて、理解して、みんなと同じペースで動かないと、授業に参加できない。

そして娘は、通常学級から、はじき出されてしまった…。

登下校、普通クラス、宿題…小学校生活すべてで「普通」のペースについていけない娘。

その様子を目の当たりにして、私はこのころからようやく、

みどり
みどり

私の娘には、本当に、発達障害があるのかもしれない…。

と、考えるようになりました。

これが私の、初めての「娘の障害の受容」だったと思います。

それまで私は、「娘は、並外れて不器用」「娘は、普通ではないくらいマイペース」という特性を、ちゃんとわかっていました。でもそれは、

みどり
みどり

ちょっと変わった、「普通」の子。

という認識でした。

小学校でうまくいかない娘、知能検査でも大きな凸凹がある娘。

みどり
みどり

これは、世間の基準で言うと、「発達障害がある」ということなんだ…。

みどり
みどり

『発達障害』は、障害なんだ…。

とても重い気持ちで、それでも確かに、私はそう考えるようになりました。

私はここから、本当に、娘に寄り添うためのスタートラインに立ったのかもしれません。

「粒ぞろいのこどもたち」のまぶしさ

当たり前だと思っていた、「普通のクラスに入り、学び、クラスメイトと過ごす」こと。それが娘には、とてもとても難しいことだ…と、私は思い知りました。

そんな中、普通クラスの子どもたちは、あまりにもまぶしい存在でした。

あのクラスの子どもみんなが、小学校で過ごしていくための、すべての基準を満たしている。先生を中心に、仲良しの1クラスとして、まとまっている。

まるで真夏のトウモロコシみたいに、普通クラスの子どもたちが、粒ぞろいでつやつや光っているように感じました。普通クラスの子どもたちを見るたびに、自分の娘が、そこからこぼれてしまったという悲観的な気持ちになりました。

娘が、価値のない子どもだと突き付けられているような気がしていました。

そして可愛い大事な娘に対して、そんな風にしか考えられない自分が、情けなくてたまりませんでした。

我が子の凸凹に向き合ってくれた、特別支援学級

未熟だった、親としての私。未熟だった、1年生の娘。そんな中で、特別支援学級という場所は、娘をやさしく、大きくはぐくんでくれました。

当時、文部科学省の指導で特別支援教育が始まって、5年あまり。現場の先生方が勉強し、実践し、積み重ねてきたいろいろな試みが、かたちになり始めた時期だったのではないでしょうか。

コミュニケーションの指導

特別支援学級に移ってからも、娘は毎日のように、お友達と小さないさかいを起こしていました。

さらに特別支援学級では、コミュニケーションに障害を抱えている子がほとんどです。「Kくんがたたいた」だの「Yくんがバカっていった」だの、ささいないことでトラブルはより頻発していました。

人間関係のトラブルがあるたびに…

特別支援学級では、子どもたち同士でトラブルが起こるたびに、先生がその様子を細かく観察・記録をしていました。そして区切りがついたところでいさめ、いったんクールダウン。

その後、子どもたちに、そのトラブルのフィードバックを丁寧にしてくださっていました。

最初は、どっちが、なんていったの?

…そうだね、Kくんがたたいちゃったところだよね。

たたいたとき、どういう気持ちだったんだろう?

理由があったのかな?

といったぐあいです。

このようなきめ細かいフィードバックをしてもらうことで、発達に偏りがある子どもたちも、知識として、他人の考え方や感じ方を学ぶことができます。

もちろん、先生の目の届かないところでトラブルになることも多かったです。それでも先生方は、子どもたちからじっくり状況を聞きながら、フィードバックに努めていました。

娘も含めて、衝動的だったり、相手の気持ちが分かりにくかったりする子どもたち。

それでもトラブルのたびに、対処方法を先生と一緒に考えることで、相手とうまくやるために自分がどうしたらいいか、少しずつ学んでいっていました。

通常学級に、付き添いも

みんな1年生だった、特別支援学級の子どもたち。

交流学級に行くとき、特別支援学級の先生方は、すべてではないものの、交代で通常学級に付き添ってくれました。

そして集中力が切れそうだったら、さりげない声掛けでサポート。お友達とトラブルになったら、支援学級に戻ってフィードバック。

通常学級にいるときに、「どんなことにつまづいているか」を観察
つまづきに優先順位をつける
次の段階では、何をクリアしていくのか、目標を見極める

特別支援学級の先生方は、そうやって、子どもたちがスモールステップで伸びていけるように指導しようと、努力されていました。

娘に合わせた、学習の指導

「連絡帳の記入」でもそうでしたが、娘の短期記憶の弱さと不器用さは、勉強面においても大きな足かせになっていました。

板書がうつせないので…

娘は板書が、まったく写せませんでした。

なので、国語や算数の勉強は、書き込み式ドリルですすめていました。これなら、そのドリルの中だけで完結するので、娘にとってはだいぶ学習しやすかったようです。このおかげで、学習進度は通常学級にまったく遅れることなく、学んでいけました。

2年生からは、板書を写す練習も、少しずつおこなってもらいました。最初は、連絡帳の記入からでした。

娘は今でも、板書をノートに写すのには時間がかかります。それでも少しずつ練習をしていくことで、連絡帳や少なめの板書くらいなら、ノートに写せるようになってきました。

発達障害は、発達しない障害ではない。

先生方の粘り強い指導の姿勢をみて、私は、悲観的だった自分の考え方を、見直すようになりました。

気がちるときには…

娘の難所は「写せない」ことだけではなく、それ以上に「気がちる」という部分もネックになっていました。

視覚刺激に弱く、すぐに学習に集中できなくなってしまいます。たとえ気を引くものがなかったとしても、ぼんやり外をながめているのです。

対処法としては、あまりにひどいときには、真っ白なついたてで囲うという方法をとっていました。これで多少マシにはなりました。

また、席の場所も、教卓に近く、窓の外に目がいかないように窓が背になるようにしてもらう、など、試行錯誤しながら配慮をしてもらえました。

気がちることは、教科書の音読にもハードルになっていました。読んでいるうちに、どこを読んでいたのか分からなくなってしまうのです。

教科書の1行だけが見えるようにくりぬかれた下敷きが用意してあって、娘は慣れるまで、それを借りて音読を練習しました。

不器用で、書字で困るときは…

不器用な娘は、決められた枠の中に文字を書くのも苦手でした。

文字が汚いだけなら、漢字のテストのときに×になるくらいですみます(それも困りますが)。しかし、算数のひっ算でも、まっすぐ位取りができないので計算ミスを連発していました。これについては、必ず枠取りされたノートで書くようにして、練習を積み重ねました。

通常学級の子に比べて、かなりマス目の大きなノートを使うようにもしました。それで少しは書きやすいようで、計算ミスも減っていました。

ただ、そもそも枠の中に書く、ということ自体が大変な苦痛で、練習は1日1ページとか、あくまでも「少しずつ」でした。

娘の自己肯定感を守ってくれた、特別支援学級

特別支援学級で学ぶ中で、娘にとって1番ありがたかったことが、自己肯定感を守ってもらったことだと思います。

授業そっちのけで、夢中になっていたこと

1年生のとき、勉強もそこそこに娘が夢中になっていたことは、

  • 特別支援学級の庭に出現するモグラの穴をたどること
  • 庭に群生しているクローバーの中から四つ葉を探すこと

でした。

娘は、モグラの穴が出現するたびに、特支学級のクラスメイトの男の子たちがその穴を踏んだり埋めたりしてしまうのを心配したり、別の場所に出現するモグラの穴をみて、ほっとしたり。

そして「四つ葉を探す」ことは、娘の数少ない特技の一つでした。娘は、四つ葉を見つける特別な目を持っていました。

私からすると考えられないスピードで、ひょいひょい四つ葉を見つけては、つみ取るのです。集めた四つ葉は、押し花しおりにしたりして、お友達に配って喜んでいました。

そんな娘の興味関心を、先生方はできるだけ尊重してくださっていました。

おおらかな教育の中で、娘は「きちんと座って学習できない」ということを卑下することもなく、楽しそうに学校に通っていました。

娘も、四つ葉のように

ある夜、入浴中。娘が突然おしゃべりを始めました。

娘

ママ、四つ葉って、どういうところに生えてるか知ってる?

娘

どういうところかっていうとね。

クローバーがたくさん生えてるところの中でも、日陰のところと、学校のみんながいっぱい歩いてて人が良く踏むところに生えてるんだよ。

娘

いつも四つ葉をとってるうちに、私分かったんだんだ!

娘

でもなんでだろう、湿ってるからかな、踏まれて強くなってるからか、〇△□×……(以下おしゃべりがとめどなく続く)

娘は、四つ葉のクローバーについて、「観察から学んだ知識」を披露してくれたのです。本当によく観察したものだ、と、私は驚きました。

日陰だったり踏まれたり、成育環境が良くないところ。

だからこそクローバーは、少しでも日光を多く取り入れるために、葉を増やして、頑張って生きているのでしょうか。

それが、四つ葉のクローバーという、稀有な形になるのでしょうか…。

こんな観察ができたのも、特別支援学級で娘の過ごし方を尊重してもらっているからです。

私はその話を娘から聞いたときに、

みどり
みどり

娘にも、四つ葉のクローバーのような人になってほしい…

と思いました。

娘はちょっと変わっています。そして、発達障害があります。

これからの人生、きっと日影があったり、たくさん踏まれたりするでしょう。

それを考えると、私は重い気持ちになり、涙が出そうになります。

でも、そんな日陰や困難をくぐり抜けた娘が、将来、誰かに稀有な存在だと認められて、大切に思われてほしい

四つ葉のクローバーのように。

娘の未来がそうなっていると、信じたいのです。

特別支援学級が、私たち親子を育ててくれた

入学後、通常学級からははみ出してしまった娘。でも、特別支援学級での教育は、のびのびとしたすばらしいものでした。もちろんいろいろなトラブルはありましたが、娘は少しずつ、自分らしく、成長することができていたと思います。

そして親である私も、少しずつ成長させてもらっていたと思います。娘の障害に寄り添うということがどういうことなのか、ようやく考え始めることができるようになったのです。

特別支援学級での日々は、その後、学年が上がるにつれて、もっと複雑で、もっと奥深いものに変化していくことになりました。

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